2013年06月30日

公開討論会

ルクブ630朝.jpg リンカーン・フォーラム方式公開討論会というNGOがサポートしている討論会が各地で開かれているようです。「公開討論会」を通じて政治家を選ぶというルールを日本に根づかせる実践運動とネットワーク創りを行っているとのことです。女性会館で行なわれた今日の討論会は主に女性たちが頑張っていました。女子会的公開討論会を開きま〜っす!主婦、ママ、お姉さん、おばさん、おばあちゃん?? 集まれ〜・・・なーんて、フェイスブックでも呼びかけがありました。

 大研修室は150人ほどか、ほぼ満員。TVカメラをはじめ、記者さんたちがぐるりと部屋を囲んでいる。居眠りをしている記者さんもいたけど、絵になる場面が来るとサッと目覚めてバシャバシャシャッターをきっていたのはすごい。選挙報道は手を抜くところ、メーンのところを予め押さえて取材をコントロールしてるんだ! パネリストは7人の候補者。3人欠席。
 クイズ形式みたいなのがあって、司会者の質問にパネリストはYes or Noのカードで答え、聴衆は白い紙とピンクの紙のどちらかを挙げて意思を示します。候補者の中には視覚障害で白とピンクでは色の区別ができないので、他の色だと判別できると言う人がいて、ハッとしました。父親が長崎で被爆した、被爆2世の人が脱原発の意見を述べたり、放射能測定器をいつも持ち歩いてると、実際に測定器を掲げて見せた人・・・
 
 討論会は、もっとラフに丁々発止と討論するのかと思っていたけど、やっぱり公平を期して、タイムキーパーが最前列で時間管理。ルールにのっとって行なわれていました。無所属も含めて党論会かな? 96条の改正問題、9条についても、深く討論するまでの時間はありませんでした。途中退席した自民党候補者、圧勝するつもりか。怖ろしい時代を迎えたくない。同じ時間、東京では、「それでも 自民に入れちゃうの? デモ」 http://sorejimi.blogspot.jp があったようです。

 それにしても生の「人間」の発する声や態度を生の私が実感する事は大切だと思いました。がま口塾古参のTさんが開催メンバーとして頑張っていました。準備が大変だったろうな。お疲れ様でした。若いママのYさんは、7月6日の「おしどりマコ・ケンのぶっちゃけトークのイベントのチラシを配るの」と言って、閉会後のロビーで頑張っていました。その迫力、偉い!テレビの前で怒っているだけではダメだもんね。
 

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2013年06月29日

愛知選挙区公開討論会

 参議院選の愛知選挙区の公開討論会が女性会館でありました。主に女性たちが企画実行していて、活気ある試みだと思いました。大集会室に130人以上はいたと思います。出席したパネリスト(立候補者)は7人。3人欠席。自民党は少しだけ意見を言って用があるからと帰りました。テーマは「食」「くらし子育て」「エネルギー」「教育」。○×クイズという、賛成反対で、意見を表明するのですが、聴衆の私たちはピンクと白の神をイエスとノーの意思表示として高く掲げました。もちろん候補者たちもイエス、ノーのカードを提示します。
 
 こういう公開討論会はリンカーン・フォーラム方式と言うのだそうで、、「公開討論会」を通じて政治家を選ぶというルールを日本に根づかせる実践運動とネットワーク創りを民間のNGO団体がサポートしているそうです。
 エネルギー問題が私は確認したかったのですか、いつも放射能測定器を持ち歩いていると言って、ポケットから出して見せた候補者がいてびっくり。あーぁ、こんな世の中になったのだ・・・・。又「父親が長崎で被爆して、私は被爆2世です」と言った女性候補もいました。これも時代だと思いました。中沢さんは、差別されたので、ずっと被曝者である事は隠していた痛そうです。お母さんの死がきっかけで、怒涛の被爆証言を始めたのです。

 会場をぐるりと取り囲む記者さんやテレビカメラ。友人たちにも会い、やっぱりこの目で候補者を見、声を聞き、発言を考えるのは臨場感があっていいものだなと思いました。居眠りしていた記者さん、肝心の場面になるとぱっと立ち上がって、バシャバシャシャッターをきっていたのには感心しました。

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2013年06月26日

靴と飛行機以外は何でも食べます

背骨の醤油煮込み.jpg 東新町に中国の家庭料理そのものが味わえる「延辺館」というお店があります。例えばこんなの!  豚の背骨の肉の醤油煮です。初めて見た時は、ただただ唖然。誘ってくださったKさんとSさんの二人の中国の方に「大丈夫ですか? 」って訊かれたので「靴と家の柱以外は何でも食べますよ!」と答えたら「そうですね、飛行機以外もね!」とすぐ返ってきました。中国ではこういう言い方をします、ああいう言い方をしますと、面白い会話を何度も聞いたのに、家に帰ったら忘れてしまいました。ホント、近ごろの記憶力の劣化に涙。
 お店は中国人の方たちが多く、あっちの部屋からこっちの部屋から、知り合いの方たちがお酒を持って挨拶にこられるので、その辺も中国的。おかげで、7月7日の記念講演会のチラシの宣伝が大いに出来ました。Kさんが私が差し上げた手紙をコピーして、ハンドバックにいつも入れていてくださっているみたいで、皆さんに私を紹介するときに「~~~している人です。こんな講演会をするのよーーー」と、紹介される。ありがたい夜でした。

 7月7日の午後1時半から、栄の教育会館へ。テッカイの回の1周年記念公演会。〜デマと排外主義的ナショナリズムが支配する社会にしないために〜。講師は南守夫氏です。どなたでもどうぞ。皆で語り合える雰囲気を作りたいと思っています。おしどりマコケンチラシ.jpg

 そして、その前日の6日は、日進市の友人たちが頑張っている「おしどりマコ・ケンの脱ってみる?  原発のホントをぶっちゃける! &避難者の生の声」が日進市の賑わい交流館であります。要予約です。希望される方はご連絡を! チラシはクリックで読める大きさになります。

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2013年06月24日

どんな年齢であっても

  八事朗読バンド練習日。急用でお休みが多く、参加は半分の5人+1だったけど、それなりに楽しみました。途中からの新人さんには旧人さんとの間に学習の差があるけれど、それを乗越えて、全員が楽しい練習を目指します。「外郎売り」なんかは永遠の教材と言っていいので、どのようにも楽しめます。
 「赤い鳥」の復刻版を4冊、新人で個人レッスンをしているNさんから借りました。ざーっと読んだ中から「聞きたがり屋」(宇野浩二)をテキストに起こして皆で読みあいました。もう一つ、小学校6年生だった大関松三郎の「虫けら」という詩を、群読にしたものをやってみて、これは皆が乗ってくれ、面白く、あれこれパターンを変えて楽しみました。
 
 読みたい作品を持ち寄ることになっていたので、「100万回生きたねこ」のいっちばん好きなところを朗読したYさん。タチアナさんが、ロシアの児童文学家が、2~3年前にロシア語に翻訳し、今大人気の絵本になっているという情報をすかさずくれました。もっと早く翻訳されてても良い作品だと思ったけどね。やっぱり作者が亡くなると、話題になるのかなぁ。「プーシキンなんかの短編で面白いのはないの?」なんて話から行き着いた話。プーシキンにしろ、芥川龍之介にしろ30代で亡くなっているんだよね。私たちはもはや彼らを乗越えている!  年齢だけだけどね。かと思うと、まどみちおの「百歳日記」を持ってきて朗読してくれたSさん。どんな年齢であっても、人の心を打つ作品を書けるってことね。どんな年齢であっても人の心をうつ朗読もできるってことね。人間の魂と言うものは、物理的な「生命」とは無関係ってことね。
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2013年06月23日

沖縄慰霊の日

 与那国島の小学校1年生の男の子の詩の朗読を全部聞いたけど、メモまで取る気にはなれませんでした。挨拶する大人たちの、言葉は話しているけど、音にはなっているけど、腹の内で考えている、聞こえない音が聞こえて来る。だから、虚しくて。そして、6月23日から、8月6日、9日、15日までの間のことを思うとやるせない気持ちで一杯になります。今日は、「68年前に沖縄での組織的な戦闘が終結した日」というけど、どうして、せめてこの日に戦争を終らせてくれなかったのか。
 タイのチャットさんと沖縄を旅行した時、通訳をしてくれた嘉手納のMさんが、親戚のおじさん平和の礎.jpgの名前を発見した時のことが忘れられません。4人に1人が亡くなったのだから、だれかれに繋がる人が礎に刻まれている事は分かるのだけど。Mさんが嘉手納を案内してくれた時、「洗濯物が普通に干したいのよね」「え?」「基地で飛行機を洗うときの洗浄液が飛んできて、その薬品が恐いのよ。洗濯物が外に干せないの」。音だけじゃないのです。飛行機が落ちるときのことだけじゃないのです。洗濯物が外に干せない、布団が外に干せない。現地の人に聞いて初めてゾッとしたのでした。戦争は終っていないのだね。
 沖縄に2年いたから、知り合った色々な人の顔が浮かびます。
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2013年06月21日

テレビに向かってバカッ!って怒っているだけでは・・・

  昨日のブログを見た友人が枇杷の情報を送ってくれました。
http://www.ccsnet.ne.jp/~s-saito/ryoho.htm
うーん。すごい。情報交換って大事だし、面白いね。ありがとう。
 ・・・だから、原発事故の被災地は、こういう貴重な自然の恵みも智恵も全部破壊してしまったんだ。それと、私は「福島の原発事故で死んだ人はいないとは言わない」と書いた責任上、もう一寸勉強しなくっちゃと思って、パソコンでウロウロしていたら、広瀬隆さんの動画にはまり込みました。動画だけで114,000件ある。その中の、半年ほど前の3時間分の講演を聞いて、彼が「テレビに向かってバカッ!って怒っているだけではダメです」って怒っている気持ちに心臓がドクンドクンしてしまいました。皆が伝えあって、希望を見出しあわなくっちゃね。絶望しちゃいけないし、絶望なんかしていられません。日本の原発を安全だって、世界で売り歩く人が私たちの国の代表であっていいはずがないです。↓のYouTubeを一人でも見てくださる方があれば、私も「バカッ!」って、テレビに向かって毒づいているだけの人間ではないと言える。3時間は大変だけど、本当のことを知らないのは、もっともっと大変。
 http://www.youtube.com/watch?v=U9NUX3rljZE
 http://www.youtube.com/watch?v=8_itm3d5Gjc
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2013年06月20日

庭に枇杷の木を植えてはいけないか?

 昨日、朗読の個人レッスンに来たNさんと庭で話をしていて、ブラックベリーの話から、枇杷の話になって、「枇杷は庭に植えてはいけないって言うね」・・・。ギョギョッ+ジェジェ。欲深な私は"昔話の隣の悪い婆さん"よろしく、引っ越してから、何でも実のなる木を植えようと、柿、栗、サクランボ、枇杷など、せっせと植えました。ミカンの木は母が植えてたのがありまして。私が枇杷を植えた本当の理由は、前の家の二階の窓からの目隠しにいいと思って、食べて美味しかった枇杷の種を撒いただけです。
 で、調べたら、まーあ、あるある、枇杷や無花果は、本当に嫌われてる。枇杷に関しては、ヤフーの智恵袋に一番よくまとまったのがありました。

@
そのビワの木の外観が根拠。
大木になったビワの木で庭や家屋が薄暗くなり通気も悪くなり、それが原因で病人が出る。

A
ビワの葉は薬効成分があり、寺院の境内や病人のいる家で薬代わりに育てていた。「寺にあるような木は縁起が悪い」、「病人がいる家にビワの木がある」
=「ビワの木は病気になる」 になった。

B
「薬効成分を求めて病人がやってきた」
→「病気を置いていったことがある」
→「病気になる」という事になった。
「薬効成分を求めて病人がやってきた」
→「沢山の病人がその家を訪れるようになった」
→「病人が病人が沢山訪れる家」
→「病人の家」。

C
その薬効成分を使用して利益を上げていた者が
一般の家庭でビワを植えられてしまうと価値が薄れるので、
ビワは縁起でもない樹木であるという話を流布した。
****************************

 で、思ったことは、「米国株式市場が急反落、量的緩和縮小めぐる米FRB議長発言で下げ幅拡大! 」なんてニュースとよく似てるなあってことです。皆病気になりたくないし、お金持ちになって、幸せになりたいから、ああ言ったから、こうなる、こう言ったからああなるって画策して幻のようなお金が駆け巡ってる。「幸せとは何か」、「健康とは何か」という定義はどっかに飛んでいる。
 庭の木の言い伝えもゲームだと思おう。結果の良し悪しを自分で引き受けて、緑を楽しむことにしました。Kさんが故郷の桂林から、「お菓子」として持って来てくれた「スイカの種」を撒いておいたら、花が咲きました。花が終わって実をつけだした木々たちが幸せでありますように。
 「福島の事故で死んだ人はいない」なんて、私は絶対言わない。死んだ人は大勢いるし、死んだ植物は想像すら出来ない数でしょう。雨の庭で、そう思いながら、木々と話しました。シマトネリコも栗も乗用車で運んできた木が3年の間に本当に大きくなってくれました。見ていると、とても幸せです。ありがとう。
屋根を越えたクリ.jpg 柿の赤ちゃん.jpg  シマトネリコの花.jpg スイカの花.jpg
(桂林のスイカの花)

posted by Hiromi at 16:53| 愛知 ☔| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月17日

梔子

くちなしのスリップス1.jpg 「無口」と通知表に書いてあったことを思い出したことから、どんどんタイムスリップして、色々なことが納得できました。当たり前だよね。思春期に入ったの。自我の目覚め。『私はどこから来たのだろう?』『何故私はここにいるのだろう?』『どうしてあの人たちが私の両親なのだろう?』エトセトラ。高校に入るまで、自殺や家出を考えていた子だから、「無口」だったわけです。

 それで、今度は庭の梔子の花の話です。虫取りをせっせとして大事に育てたか
柏葉あじさい.jpgいがあって花が咲いたのはいいのですが、写真で見てみたら、黒い点々がいーーーーっぱい。ギョギョッ+ジェジェッ。調べたら、「スリップス」という虫らしい。今朝一番に咲いた一輪を撮ってもやっぱり2~3個ついていました。黒ゴマじゃなあじさい1.jpgいかと思うほど。ちなみに庭の柏葉紫陽花や、白い半分鞠のような紫陽花(名前を忘れました)も撮って見てみたらそんなゴマはありません。梔子にカギってつく虫なのかしら。
甘い香りだもんね。気持ちいいんだろうな。

 今度はジュネーブで人権人道担当大使がシャーラップ事件。口があるからいけないんだね。ついつい本音、本性が口から出ます。真っ白な気品を漂わせて咲く「くちなし」も黄色く倒れるように枯れていきます。色々な花の咲き方、朽ち果て方があるものです。
 紫陽花の二種類とも友人からもらって植えて、無事咲きました。ありがとう。花はみんなだまーーーーッて咲く。そしてだまーーーーって終わる。
 

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2013年06月14日

頑張っている友人たち

  るくぶチラシ.jpg復興庁の参事官のつぶやきの話は、気分が滅入るので、こんな時は、頑張っている友人たちからどっさり届いたチラシを紹介しましょう。私はカオガヒロイと思われているようなのですが、実は家に引っ込んでいることが多いのです。家で針仕事をしたり、猫と遊ぶのが趣味なので、(これは幼い頃から変りません。6年生の時の通デイズジャパンチラシ.jpg知表には、"無口"と書いてあります。真的!)必要以外は絶対に外出しません。なので、こうして一人で出来るブログを書いているのかもしれません。
 で、チラシを配る機会が友人が思ってくれるほどないので、ここでお知らせします。もちろん必要があって外出するときは、ちゃんと持って行って、渡せる人には渡します。友人たちが頑張っていることをとても誇りに思っています。2つのチラシはクリックで読める大きさになります。
★るくぶ HP↓
https://sites.google.com/site/syufunokai/
★デイズジャパンを見ていると、「もし、世界が100人の村だったら」を思わずにいられません。
http://www.youtube.com/watch?v=_bsCPXynZJ4 
posted by Hiromi at 22:21| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月12日

7月7日のお知らせ

 招待状を戴いたので、「中国王朝の至宝」の展示を見に名古屋市博物館へ行きました。
http://china-ocho.jp/midokoro_nagoya
 紀元前2000年から3000年間の文化を2時間ほどで、目で学ぶのですから、雷電の如きスピードで圧倒される。習近平さんがアメリカで「ふたつの大国」と言ってましたっけ、私は博物館で納得しました。殺戮と破壊は繰り返されても、人間は大変な技術、芸術を繰り返し伝えてきたのですね。

 
"ゲンおたく"をしている間にも刻々と世の中は変わっていて、3000年に比べれば、1ヶ月くらいは1秒にも満たない時間の流れですが、その中を泳いでいるのですから、それはそれで観念して、バラの脱走も1週間で収束。??文脈が支離滅裂ですねぇ・・・。広島から帰って旅装を解く前に締め切った部屋の窓を開けたら、その瞬間に自分でサーッと網戸を開けて家出をしてしまっていたのです。毎日庭には顔を出すけれど、なにしろ、野良猫あがり。なかなかつかまりませんでした。蟻でも連絡をとりあって、助け合って社会生活をしているのだから、猫の智恵も相当なものであるはず。野良猫同士助け合っているのでしょう。だけど、その猫に負けてちゃ、人間としての沽券に関わります。あの手この手で無事バラの智恵に勝ったのでした。(やっぱり共存には食糧が重要なキーワードです)只今は押入れの襖を勝手に開けて逃げ込んでいます。今晩のシャンプーを警戒しているのです。は~ぁ、おりあいをつけて生き物同士平和に生きるのは難儀なこ七夕テッカイ短冊.jpgとです。
2013年7月7日南守夫講演会.jpg
 テッカイの会からのお知らせ。メールの方にはメールで送信できるので助かっていて、それ以外の会員の80人ほどの方に郵送しました。7月7日、栄の名古屋市教育館講堂です。河村市長「南京虐殺否定」発言を撤回させる会発足から1周年。盧溝橋事件。日中戦争へ突き進んだ日。どうやったら中国と日本が仲良くやっていけるのか、真摯に考えます。人間どうしですから努力を重ねれば、きっと平和にやっていけると信じて。(チラシはクリックで読めるようになります)
posted by Hiromi at 14:58| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月10日

広島RCCのニュース

 「ピースあいち」の友人から教えてもらいました。広島のローカルニュースも見られてありがたいです。最後の「動画を見る」をクリックすると見られ、私も話していてびっくり。
RCCのニュースから
http://news.rcc.jp/?i=MjA4ODM=&#a
「はだしのゲン」連載40年 高まる再評価の声(6/4)
動画を見る>>ウインドウズメディアプレーヤー
 
“麦のように力強く”中沢さんから思い受け継ぎ(6/7 )
動画を見る>>ウインドウズメディアプレーヤー
 
posted by Hiromi at 09:46| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

正確に伝わる、伝える事は難しい

 世界のニュースでも、日本のニュースでも、もっと小さい町内のニュースでも、あるいは家族同士の話でも、正確に聞き取ったり、伝えたりする事は本当に難しいです。まず「誤解もふれあいのうち」と考えたほうが良い。大体、私自身がしょっちゅう間違えて理解し、発信します。でも、大まかな事は伝わっていくので、リスクを頭に入れながら、情報リテラシーを考えているべきなんでしょう。
 広島の産婦人科医の先生が「河野美代子のいろいろダイアリー」というブログをとても丁寧に書いておられます。今回の広島の行事も、よくまあ、こんなに忙しい先生が・・・と思うほどの丁寧なレポートで、私も大いに楽しく読ませてもらいました。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/40-86ed.html
 先月は名古屋の南山大学でも講演されたそうです。で、私は「国際放送局などの若い仲間と翻訳中」と説明しているのですが、どうしても留学生としているというイメージに繋がってしまうようです。NHKの時は、蕪湖で知り合った人たちとしているような印象の放送になりました。それは、中国での出版の厳しさを表現する、私の言い方にも原因があり、反省しているところです。
 今は、机を並べなくても、パソコンで翻訳のやり取りは出来るし、漫画の吹き出しに書き入れるのも、みんなマウスが北京から送信された翻訳をコピーしてやってくれます。6人でやっていますが、日本にいるのは、私だけです。翻訳している仲間の中には、ほぼバイリンガルの若者もいて、皆、日本語に関してはかなりの経験をつんだ人たちです。学生はいません。出版するときには、彼らが本名を出すか、ペンネームか・・・これも未定ですが、いずれにしても政治情勢を眺めながら、何とか一刻も早く出版したいです。習近平氏のアメリカ訪問の動向はとても気になります。メディアで伝えられる事は極々一部なので。
 
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2013年06月06日

楽しい時間はアッという間に過ぎて

22.毎日20130605広島.jpg21.中国新聞20130065広島.jpg 6月5日
 又朝のテレビニュースは昨夜の様子を全国版で放送していました。新聞を買って一路名古屋へ。写真は、なかなか全体的に撮りにくかったので、少しです。実行委員会で、カメラのプロの方が、ずっと撮ってくださっていたので、又あらためて送ってもらえるでしょう。楽しい時間はアッという間に過ぎてしまいました。
 帰宅してから、女性会館でのテッカイの会議に出るか休むか随分迷いましたが、7月7日に行事が迫っているし、会計なんだから、請求書がでたら、払わねばならないので、無責任なこともできません。だましだまし歩いている「足」に言い聞かせ、出かけました。やっぱり皆の顔を見ると、なぜだかホッとして来てよかったと思ったのでした。
   
posted by Hiromi at 16:45| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生まれ変わっても結婚します

 6月4日
<漫画『はだしのゲン』40周年記念 映画上映とトークイベント>

 昨日は午後5時から寝てしまって、朝5時目を覚ます。広島へ行ったらのんびりしよーって楽しみに来たけれど、やっぱり、何だかんだと名古屋で準備していた時と同じメチャクチャになる。でも、ちょっと息を吹き返しました。睡眠は心と体の宝物。
 平和祈念資料館へ行って、展示を見たり、図書室の中沢啓治コーナーで、黒い雨シリーズなど、ずっと見たいと思っていた作品をたっぷり読みましたが、まだまだ読みきれていません。ただ、代表作は「はだしのゲン」である事は間違いないと思います。

 午後1時、名古屋の「ピースあいち」のスタッフ二人と資料館の玄関で待ち合わせていたので、ミサヨさんに来て頂くのに、どこでお茶したらいいのか、探しとかねば・・・と、国際会議場の地下に行き、かっこうのレストランを見つける。試しに昼食をとってみて、とても静かで本日は会議もなさそうで、穴場発見!
  名古屋の二人はモノスゴーク緊張していたけれど、ミサヨさんと私がのっけから漫才・・・じゃなかった、わぁわぁやりだしたので、気分がほぐれて、いつのまにかニコニコ。Kさん、わざわざ重いノートパソコンを持ってきて、ミサヨさんに「ピースあいち」の成り立ちや展示の動画を見せて、丁寧に説明を始めました。8月いっぱい「はだしのゲン原画展」を開くので、ミサヨさんにぜひトークして頂きたいという依頼の使命を秘めてのことです。ミサヨさん、昨日の3時間のベッド会議が効いたか、「はい。行きましょう」と、快い返事。ただし、一昨日の2分の開会の挨拶が、初めて人前でステージで話したというくらいなので、本当にゲンを思っての決断である事は私には手に取るようにわかります。有難うございます、ミサヨさん。たぶん、名古屋ではトークにはさんで歌を色々会場の皆と歌う楽しい会になると思います。中沢さんは、内容が重いので、苦しくなるとゲンに歌わせ、怒らせ、笑わせ、又歌わせ、明るさを出したのだそうです。私は原画展の実行委員に誘われたけど、お断りして、できる限りのお手伝いという事にしてもらいました。

 午後6時半。漫画『はだしのゲン』40周年記念 映画上映とトークイベントが、資料館の地下の会議室で始まりました。まずは「はだしのゲンが見たヒロシマ」の上映。
http://www.youtube.com/watch?v=J0YZh0sKUpY
 14.ミサヨさんトーク.jpg 16.チーム青麦ラストステージ1.jpg 18.チーム青麦ラストステージ3.jpg
 久仁子さんが開会の挨拶「まず本日のスペシャル・ゲストをご紹介します」
と、遺影に寄って拍手。そういえば初日にも両手で4本の指で40周年を楽しみに表現していた中沢さんの遺影をプロジェクターで映していたなぁ。朋子さんが、「今からここを、中沢さんを囲んだお茶の間にします」と切り出して、ミサヨさんと京都精華大学漫画学部教授の吉村和真先生を紹介。吉村先生は、10分でゲンが40年前の1973年に出版された背景、どんな時代環境で、ゲンはどんな意味を持った漫画だったかを超特急で説明、ゲンの位置づけをまず明確にしました。1973年は、漫画を卒業しきれない大人たちがいた、日本の漫画史上、特徴的な時代だったと。「ブラックジャック」とか、「愛と誠」、「釣りキチ三平」などが読まれていて、「右手にマガジン、左手にジャーナル」 が流行語になっていた。ゲンは、25年間週間少年ジャンプに掲載され、他3社を渡り歩いて40年、いまだに読まれ続けている。原爆の前の家族愛も描いて子どもの心を掴み、独自のポジションを持ち、それを守り続けたのがゲンだった。
 そしてミサヨさんが登場して遺作の詩を朗読。広島の川から世界の川に広がる「愛」をテーマにした歌詞のような素敵な詩でした。これは入院していた時に病院のベッドの上で作った詩だそうです。
Q 中沢さんはどんな青年でしたか?
 ミサヨさん、なかなかしっかり答えていました。ここに書いてしまわず、名古屋に来て貰ったときのトークを楽しみにしてもらいましょうね。とにもかくにも、14年間かけて描いた10巻のストーリーが全くぶれていない事は驚愕。頑固一徹の漫画家でした。ペンの慣らし、ベタ塗りから始めて、背景や岩、雲、太陽などは全部ミサヨさんが描いていたそうです。
 ベッドの上で話していた時、「ウジムシなんかを描いたの?」って訊いたら「人間は素人は描けないの。簡単なマルに見えるけど、私が描いたら、体から浮いてしまう」と答えられ、びっくりしたけれど、遠近感や立体感など、やはり天才の仕事かも。それにしてもミサヨさんの腕前も相当です。
Q 生まれ変わったら又結婚しますか?
朋子さんのお茶目な質問にきっぱりと「します」。漫画家のスーパーアシスタントの答えだ。 
 最後はもう一度Team青麦による「メッセージ」 で締めくくられました。                
 20.ミサヨさんを取り囲む報道陣2.jpg 23.壊滅.jpg
 終了後、報道陣がミサヨさんを取り囲むすさまじい光景。ゲンを先生亡き後も走り回らせたい一心で対応されている。
 今回広島にいて私の心に深く沈んだ言葉は、「死んだ人の数は分からない」。資料館には、しっかり、強制的につれてこられた外国の人たちも原爆で、残酷、悲惨な形で亡くなっていったことを明記していました。

 名古屋からの二人組(この人たちも私費でボランティアで来広しています)と、監督のゆうこりんや朋子さんや久仁子さんに大急ぎで紹介して、バタバタ飛び出ました。9時までに資料館を出なくっちゃいけないのに、既に10分オーバーしていました。館もゲンに特別に配慮しているんだね。感謝。

 3人で夕食をしてホテルに帰ったら11時をまわっていて、久仁ちゃんから伝言やらメールやらがワンサカ。打ち上げをやっているので、こないかと言うお誘い。はーぁ、どうして皆そんなに元気がいいの? もちろん、私はバタンキュー。
               
posted by Hiromi at 16:12| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中沢さんの生家跡地

6月3日<中休みのはずだけど・・・>
 
家族のお世話などの用がある金沢の二人を見送る。私は8時40分から撮影開始。まず平和記念公園へ。元安川の川べりの木陰のベンチでディレクターの質問に答える。質問する側に立つとそれはそれで、ほしい答えもあるし、うまい言葉が拾えれば幸いなのでしょうが、応える側になれば、似たような質問をいっぱい受けるからツイツイもごもご言いよどんでしまいます。ただ、ふと「今年の8月6日の式典では、中沢さんの名前も追悼名簿に書き加えられるのだ」と思いました。
 中沢さんの生家があったところへ行くことになり、久仁子さんがプロデュースした映画の中にも出てくるので、久仁ちゃんに電話して訊きながら、探し当てて辿り着きました。足元がぞくぞくっとしました。ここで弟の進君が4歳で玄関で家の下敷きになって頭をはさまれ、「おかあちゃん、痛いよ痛いよーー」から「おかあちゃん、熱いよー熱いよーー」と泣きながら生きたまま燃え死んだのです。お姉ちゃんもお父さんも同じ。ショックで御母さんは路上で出産。友子ちゃんは8月6日生まれの中沢さんの妹。栄養失調で4ヶ月で亡くなります。そんな場面を想像するだけで苦しい。お母さんの苦しさ、辛さ、悲しさは計り知れません。

 お昼にホテルへ戻ってミサヨさんとデートをすることにしていたのですが広島R局のディレクター、Fさんから予約を受けていたので、一緒に3人で食事。予約制の素敵なレストランでした。Fさんは、北京で5年間特派員だったそうです。私とは入れ替わりでダブってはいなかったのですが、中国と日本の関係がどんどん悪くなっていく時期で、苦労も多かったようです。だから、もし中国でゲンが出版されたら、すごいことですよーと、励ましてくださる。ありがたいことです。はい。頑張ります。石にかじりついても。
 ホテルの近くだったので、ミサヨさんと、部屋に入って、ベッドに仲良く並んで3時間ほどおしゃべりしまくりました。本当に明るい気さくな夫人です。飾らないお人柄なので、私もついついだらけて素になってしまい・・・。秘話もいっぱい聞きました。歌も歌ってもらいました。ミサヨさんは、私と金沢のANさんが話していると、漫才コンビだと言っていつも笑われるのですが、私はミサヨさんとも組めそうです。
 本日爆睡。
posted by Hiromi at 13:57| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

漫画『はだしのゲン』が伝えたいこと

 6月2日<漫画『はだしのゲン』が伝えたいこと>
  04.銀行内1.jpgモーニングをバイキングでしていた時、Mディレクターに、今朝のニュースで全国版で3回も放送していたことを教えてもらいました。私たちばててたから爆睡してたもんね。ホテル近くのお好み焼き屋さんでアラン、AN、NKさんと4人でお好み焼きを食してから、午後は旧日本銀行広島支店へ。今日もTeam青麦が全面的に頑張っていました。
 1時から第一部はアニメーション「はだしのゲン」上映。1983年の作品です。一宮に住んでいた頃、岐阜の小さな劇場へ子ども達と見に行ったことを思い出しました。茫々と涙々。ニューヨークの国連インターナショナルスク05.銀行内久仁子さん挨拶.jpgールでも上映しましたが、あの時、子ども達には強烈な場面は見せない、ダイジェストにしたことを思い出しました。

 第二部は
@「はだしのゲンフィールドワーク」発表 
A漫画「はだしのゲン」ダイジェスト
B漫画「はだしのゲン」のここがいい! 熱く語る

 
 第三部は歌「メッセージ」
 歌手の李翔雲さんと青麦による合作の歌です。今時の歌は昔のようなシンプルなメロディーでないので、一回聴06.銀行内チーム青麦メッセージ.jpgいただけではあまり良さが分かりませんが、アンコールに応えて2度フルコーラスしてくれたので、だんだんいい歌だなぁと思えてきました。
 ワークショップはアンケート用紙に描かれた麦の絵に色を塗って、感想と大切にしている心の麦の言葉を書いて、パネルに貼りました。みんなの麦で大きな麦畑を作るという発想は、やはり若者らしく、ゲンが繰り返しお父さんに言われた「麦のように生きろ!」を若者たちもまっすぐに受け止めて、生き生きと企画したようです。私は又感動しまくり。

 各国語版がロビーに展示されましたが、中国語版も仮印刷だけど、並べて頂き光栄でした。マスコミ取材も凄くて、NHKはカメラ3台使っていたそうです。そこへペルシャ語に翻訳している広島大学の留学生、サラさん登場! ちゃんと覚えてくれていて、ヤアヤアヤアと皆で再会を喜びました。2日前にイランで、第一巻が出版されたそうで、お母さんがメールで本の写真を送ってくれたそうです。29歳。本職は歯医者さんで広島大学医学部で博士論文を書くために留学していたサラさんは、留学生会館でAN代表の講演を聞いて、すぐ手を挙げて「私やります!」と言った人。論文を書きながらのことですから、どんなにか大変だったことでしょう。でも、ほんとにほんとに嬉しそうでした。アランと英語で話していた時(二人とも日本語ペラペラ)、Mディレクターが「アメリカとイランが握手してるね・・・」。ホントダァー!!!  ゲンは本当に世界を繋いでくれるのです。サラさんに「よく頑張ったねえ!」って言ったら「ほんと、世界一出版の難しい国なのよー」
とニッコニコ。中国もがんばらなくっちゃ。

 韓国語のキムさんもワンサカ取材を受けていました。朝鮮語と韓国語は一緒だと思っていたら、違うらしいのです。金さんは、崩れてしまっている若者言葉風になってしまっている韓国語を、きれいな朝鮮語に正して朝鮮文化を守りたい。正しい朝鮮語の美しさを熱っぽく語っていました。
 夜の「カラオケでゲンにでてくる歌を歌う会」に参加する前にちょっと時間があるので、ホテルに戻って、キムさん+私たち3人=4人で語り合いました。韓国ではキムさんはゲンの翻訳者として、とても有名なんだそうです。いっぱいエピソードを聞きましたが、ここには書ききれません・・。国が違っても皆ゲンが大好きなので、翻訳者たちはすぐに親しくなれ、嬉しいことです。

 カラオケは学生さんたちやゆうこりん監督や歌手李さん18人くらいで盛り上がりました。私は楽譜を80曲くらい集めたけど、皆で歌う歌を厳選、リストにしたものを配布したし、ミュージシャンでもあるアランさん用に楽譜も用意したけど、盛り上がってきたら、もう会の主旨はどっかへ飛んで、アランさんも私に頼まれて、東京から持ってきたギターを弾きながら演歌を歌いだすし・・・若者は自分達の新しい歌を歌い、又「メッセージ」 を皆で歌ってくれました。ミサヨさんもマイクを握りました。でも、まあ・・・70%くらいはゲンの中に出てくる歌をうたったので、合格! (ということに)。

09.カラオケチーム青麦1.jpg 10.カラオケチーム青麦2.jpg 11.カラオケアランの演歌.jpg 12.カラオケミサヨさん.jpg 08.20130601広島カラオケ、ゲンの歌を歌う会全員.jpg
 この会の幹事をされたKさんのブログに詳しく報告されていました。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-d70b.html
みんなこの後、さらに証言会を毎月1回続けているバーへ行ったけど、私はパス。だいたいお酒は飲めないし。
 李さんも韓国人だけど、何故ゲンが韓国で人気があるかは、全10巻読むと分かります。朴さんという実在だった、中沢家の裏に住んでいた韓国人の方を通して、しっかりと日本がしたこと、ゲンがお父さんから教えられたことが描かれているからです。「中国でも絶対出版出来るよ」と、キムさんにおおいに励まされました。
posted by Hiromi at 12:23| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

"漫画「はだしのゲン」40周年記念イベント"

【6月1日から5日まで】

6月1日(土) <漫画「はだしのゲン」40年の歩みとこれから>
 
名古屋駅でTVクルー3人と合流して「ひかり」で新大阪へ。ジパングを使うもんだから、のろのろ旅行に付き合っていただく。新大阪で金沢からのプロジェクト・ゲン代表ANさんとNKさんと合流して「さくら」で広島へ。ホテルに6人全員チェックイン。6人で今日から4日間始まる"漫画「はだしのゲン」40周年記念イベント"を企画したANT-Hiroshima事務所へ。ここにトモコーポレーションという会社があって、実行委員会の事務局もあるので、企画の母体は会議室だの活動室だのと、悩まないですみます。そもそも理事長の朋子さんは、世界を歩き回って、様々な支援活動をしている人で、逞しいがっしりした人かと思いきや、なんともまあやんわりほんわかの広島弁で、笑みを絶やさない静かな人なのです。再会を喜びあい、今日のゲストが全員集合。心づくしのおにぎりやお菓子などがテーブルの上に01.20130601広島原爆資料館メモリアルホールステージ1.jpg置かれ、早くもあったかムード。実行委員は大学生や高校生の若者たちで「Team青麦」。大人は、この人たちのしきりで動きます。
 
 午後5時半から、平和資料館地下のメモリアルホールで、まずは学校教材用ドキュメンタリー「はだしのゲンが伝えたいこと」上映。中沢夫人、実行委員長で映画のプロデューサーくにちゃん(朋子さんの娘さん)、そしてこの映画や「はだしのゲンが見たヒロシマ」を監督した石田ゆうこりん(朋子さんが、そうよんでいるので・・・)らが挨拶。彼女はジャン・ユンカーマンの『映画 日本国憲法』などにスタッフとしてかかわり、今回の作品が監督として最初のものです。司会は大学3年生の実行委員。すごい。映画は学校用に、「−−−見たヒロシマ」より少し短めに作ってありました。

 
 第二部はトークイベント「はだしのゲン」これまでとこれから。いよいよ出番。ステージにロシア語翻訳者であり、英語版も制作したプロジェクト・ゲン代表ANさん、英語翻訳のNKさんと、東京から駆けつけたアランさん。そして、中国語版をゲンプロ@北京の仲間と翻訳中の私。そして韓国語版翻訳者のKSさん。一人7分という制限があるので、タイムキーパーは厳しいけれど、これも男子大学生が客席フロアに座り込んで、カッチリこなしていました。
 次は入れ替わって、広島市内の小学校の校長先生が学校で故中沢氏を招いた授業を何度かした時の様子を報告。次は元平和記念資料館館長さんの、寄贈された原画の保存のエピソードなど。次が京都国際漫画ミュージアム研究員。最初に掲載された少年ジャンプなどの貴重な現物を持っての解説。最後は市内でバーを経営しながら、毎月6日に店で被曝者の証言を続けている青年。コーディネーターの朋子さんは大勢のゲストを手際よくふんわりと裁いて親しみやすい広島弁の司会でした。(新聞はクリックで読めると思います・・・私がポスターを持っている訳は、キムさんが韓国で出版した時に、地下鉄の駅という駅のすべての構内にゲンのポスターが貼られたことを説明したからです。韓国では学校の図書館に『はだしのゲン』がおかれ、韓国内では、既に2万セット売れたそうです)
02.毎日新聞20130602広島.jpg03.中国新聞20130602広島.jpg
 第三部もあり、オペラ歌手藤田真弓さんがオペラ「はだしのゲン」の中の「お父さんのアリア」を青い麦を手にアカペラで歌う。なんとまあすばらしい。感動で涙ぽろぽろ。続けて中沢さんの、お母さんの思い出の曲、「ゴンドラの歌」そして最後に、中沢夫人に捧げる「アベマリア」。ミサヨさんもものすごく感動していました。ヒロシマで、ゲンへの想いを持った人たちの中で、ミサヨさんと一緒にこの曲を聴いたのだもの、心を吸い取られるような感動でした。
Kさんのブログにおじゃましたら、ちゃんと写真が載っていました。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-8815.html
 第四部はなかったけど、ゲストみんなで食事会に繰り出して、終了は11時を回ってしまっていました。
 
 お客さんの中に、アメリカの核物理学者で、1950年代からアメリカの大学や学校で、ヒロシマの原爆について授業をしたりワークショップをして悲惨な状況を教えてきたという方がいて、AN代表は、しばらく話をし、深い感銘を受け、もっともっとゆっくり話したかったと、ずーっと言い続けていました。
posted by Hiromi at 10:01| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする