2015年04月30日

エプソンの50番のインク

 ずーーーーーーっとプリンターの調子が悪くて、縞々の濃淡の文字だったり、変な色の字になったり、困り果て、修理に出そうと思って、5年前に修理した時の明細書を見たら、1万円をオーバーしてた。で、買ったほうが安いので、Y電器で買ってきました。インクの方が高いくらいの特価品でございます。何はともあれ、これでイライラも治癒して、ご機嫌よろしくなりました。
 でも、今まで使っていたインクが使えなくなってしまいました。「これは三世代前のプリンター用ですからもう使えないですよ」と、店員さんに言われました。もし、エプソンの50番のインクをまだ使っている方がいらしたら、6個くらい純正のを持っていますので、無料でお譲りしますよー。連絡してくださいね。今日は業務連絡でした。
posted by Hiromi at 22:14| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月29日

暴走を許すな!

  429集会とデモ中日朝.jpgデモと集会に1人で出かけ、色々知人の顔を見たけど、皆スタッフやチラシ配りで忙しそう。岡崎から駆けつけた、がま口塾時代からの友人もいて、懐かしい会話。と、メーテレが取材中。若い女性ディレクターがこちらにきてマイクを向けたので、手をふってお断りして、私の隣にいた知らない女性に勧めました。話し終わったのを見て「Hさんですか? Bです」と言ったら、超びっくりしていました。年恰好から見て、多分先日バトンルージュを取材してきたHさんだと思ったから。彼女に現地で協力したルイジアナ州立大学のKさんを紹介した人物がこんなとこにちょこんといるので、目の玉をまん丸にしていました。よくまあこんな人波の中で ! 微人は目立つんだね。思いがけない初対面の挨拶。
日米防衛新指針全面.jpg
 今日は、サンフランシスコ講和条約が発効した日でもあり、沖縄にとっては屈辱の日。辺野古問題もあわせて5月3日まで連続行動があります。集会アピールを大学生の青年が力強く読み上げていたのがとても嬉しかった! 後は「戦争反対・秘密法反対」のA3カードを受け取ってシュプレヒコールをしながらデモ。足が心配だったけれど、何とか完歩。

 日米防衛新指針図1.jpgデモの「安倍の暴走を許すな」の矢を向けられている当の総理は只今アメリカ訪問中。ニューヨークのNPT(核不拡散条約)再検討会議のデモに参加のため・・・であるわけなし。今朝の新聞に日米防衛の新指針全文が載っていますが、これを全文読むのは大変。でも、本当に恐ろしいことが始まっている。
******************************
(朝日新聞0429朝刊の写真と記事)


 429集会とデモ朝日朝朝.jpg政府の安全保障政策に抗議する集会とデモ行進が28日夕、名古屋市の栄や大須の繁華街であった。弁護士らが発起人の市民団体「安倍内閣の暴走を止めよう連続行動実行委員会」が呼びかけ、約700人(主催者発表)が参加。集団的自衛権行使のための法整備や、米軍普天間飛行場の沖縄県内移設などに反対を訴えた。

 友人ら4人と加わった名古屋市昭和区の南山大4年生木村朋樹(ともき)さん(21)は、「日常生活と政治に距離があり無力感があるが、自分たちの世代が戦争に行くことになるかもしれないと思い、参加した」と話した。

******************************


posted by Hiromi at 09:56| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月28日

「安倍内閣の暴走を止めよう!」の集会とデモ

 今日、若宮公園で「安倍内閣の暴走を止めよう!」の集会とデモがあります。
  集団的自衛権・戦争法制を許さない!
 普天間基地撤去!辺野古新基地建設を中止!
☆ 4.28集会の進行
■ 18:30 開会
   各分野からのアピール 
   集会宣言
■ 19:00 デモ出発
  若宮大通公園 → 栄(三越)交差点左折 → 大津通南下  → 矢場町で流れ解散


posted by Hiromi at 04:15| 愛知 | がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月26日

美濃加茂 春・朗読の一日

 ネパールの地震、痛々しく・・・。大勢の突然の死に声も出ず。
 岐阜県美濃加茂市で「第15回 春・朗読の一日」に参加。八事朗読バンドは4人チームで挑みました。「妙なるテンポ」「ジョージカーリンの手紙」。午前の部が18組。午後の部が30組。9時半から午後5時半まで朗読三昧の一日です。ジャンルも様々で、朗読といっても衣裳をつけて朗読劇風のもあり、普段着のままもあり、講談や浄瑠璃調も新劇風もあり、中には目の不自由な方のストーリーテリングもありました。参加者は本当に自由で自分の好きな形。森の新緑に囲まれて朗読を謳歌しました。良い場所を提供し、運営してくださる美濃加茂の関係者、朗読グループの皆さんには深く感謝します。今年は録音は成功しましたが、カメラを忘れて撮影は失敗。残念無念。いつも100点が取れない私です。
 それでも、又来年頑張ろう! という気持ちにはなれたので、良しとします。
posted by Hiromi at 21:21| 愛知 | がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月25日

昨日の敵は今日の友  昨日の友は今日の仇

 朝6時台後半、NHK「おはよう日本」でゲンのことを取り上げていました。中東戦争にからめ、カイロ大学文学部日本語日本文学科のマーヒル教授を直接現地取材したもの。マーヒル先生はゲンをアラビア語に翻訳して話題になっています。大学ではゲンを題材にして授業。日本の被爆者の男性と女子学生が、授業の一環でテレビ電話で話す場面で、女子学生のアヤさんがカイロから「日本はどうして(投下国を)許したのですか?」と、日本語で質問すると、広島から、被爆者の男性が「日本には昨日の敵は今日の友という言葉があります」と答えます。そして最後はスリランカでもシンハラ語で今月出版されると締めくくっていました。 (カイロ大学の授業で、テレビ会談って普段やるのかしら?)

 なんかおかしいし、私は釈然としませんでした。それを言うなら、蒋介石の「以徳報怨」演説も語るべきだと思ったからです。一方的に被害者であることをゲンは訴えているのではない。「戦争はもう絶対するな」とゲンは言っているのです。決して「許した」でまとめるものではない。
 蒋介石の「以徳報怨」の演説は、天皇の玉音放送1時間前に放送されたそうで、支那派遣軍総司令官は、この放送で初めて「完全な敗北」を実感したそうです。ソ連と中国共産党が結びつかないよう、国民党軍の蒋介石が、武装解除を円滑に行って、その後の中国共産党との戦いを有利に進めようとした政治的判断に基づくものだったという見方もあり、「昨日の友は今日の仇」という言い方だってできる。
 穏やかな春の陽射しの中で悶々とする一日の始まりでした。

 ドロンを首相官邸に飛ばした福井の男性が申し出て逮捕。本当に反省しなければいけない人は官邸の屋根の下にいるのじゃないか? 日本に未来の夢のエネルギーとして核を持ち込んだのはどんな人たちだったのか?
posted by Hiromi at 09:38| 愛知 | がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月24日

バトンルージュの若きバスケット選手

 八事朗読バンドの練習日。明後日の美濃加茂での本番に向けて、主に立ち稽古。リビングのソファーをあちこち移動させて、ステージらしい広さを確保して、朝から忙しかった。Yさん週2日の就職が決まって、4月から緊張続きで疲れているだろうに頑張って出席しました。皆で拍手。プラットホームってことば、最近よく聞くけど、朗読がみんなにとって、一つの駅の待合室であったらいいな。
 終了後、、皆で録画した「ガイアの夜明け」を見ました。「南医療生協」の素晴らしさに皆「すごーい」を連発。私は「ナレーションが面白いから耳を澄ましてね」って言ったんだけど、みんな内容に吸い込まれてそれどころじゃなかったわ。秀逸な朗読って、そんなもんかもしれないね。
 先日、戦跡案内をしてくださった方がこの南医療生協について、「それは、江戸時代の大原幽学という尾張藩出身で、先祖株組合という農業協同組合を世界で初めて創設した人の流れを汲んでいるんですよ」と仰っていたのですが、自分たちの事は自分たちで決めていくという自立の精神は、今に息づいているという証明をしているような素晴らしい番組でした。

 そして、今日は夕時のメーテレの「UP」の特集。名古屋の高校からバトンルージュのルイジアナ州立大学に留学中のバスケット選手の話題です。こちらも勇気を貰う、爽やかな番組になっていました。取材のお手伝いを全面的にしてくださった賀茂さんが写るかなぁと眼を皿にしていましたが、徹底的に主人公に焦点を当てていました(当たり前!)。
 でも、私はちょっと疲れましたので、今日はこれで休みます。
posted by Hiromi at 21:25| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今夜のメーテレ「UP」でバトンルージュ


 今夜、メーテレの「UP」で、バトンルージュに取材した、ルイジアナ州立大学の、名古屋出身のバスケット選手の話題が放送されます。服部君事件の時に助けてもらった賀茂美則教授が大車輪で取材協力しています。賀茂さんご夫妻はゲンのことでニューヨークへ行った時も助けてもらっています。何かある時のカモ頼み。私もちょこっとディレクターに賀茂さんを紹介したので、楽しみにしています。


 「ガイアの夜明け」の南医療生協の取材も素晴らしいかったです。(このことは又後で)。高世さんに感想を送りました。ディレクターたちは、徹夜徹夜を繰り返して、良い番組を作ろうと必死で頑張っています。中国人記者の取材を笑うような、どこかの大臣のような態度は微塵もありません。メディアを支えるのは、本当に私達。視る、聴く方も良い視聴者になりたいものです。
posted by Hiromi at 06:13| 愛知 | がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月22日

上京

 東京駅.jpg東京というところは元気でないと歩けないね。幸い天気がいい。東京駅から都営三田線に乗るのに、大手町まで地下道を通らず空を見ながら歩く歩く。悲劇の都営三田線といわれるだけあって、もっとも遠い。初めての所へ行くときは、不安が友だからよけい長い。いっぱいいっぱい聞きまくって目的地着。海外専門の著作権の会社です。行く前まではとても心が揺れていたけど、勇気を振り絞って行きました。とても親しみやすい担当者の方たちとお話が出来、収穫あり。やっぱり顔の見える関係って大切だねぇ。担当の方たちも私の顔を見て「あら、こんなおば様だったのかぁ」なんて、親しく思われたんじゃないかしら・・・と、思うことにするのだ。心の余裕なく、東京で会いたい友人知人には全て失礼しました。

 早朝、名古屋の地下鉄に乗ったとき「お降りのお客様は忘れ物のないよう、携帯など手回り品を今一度お確富士山.jpgかめください。」ってアナウンスがあった。「ギャッ・・・ない。まあいいわ。家に忘れてきたんだから、電車の中に忘れようがないわ」・・・と思うことにした。だから、会社にたどり着くまでは、慎重にも慎重を重ねて携帯のお世話にはならないようにしたんだけどね。今度は帰りの新幹線の中の電光掲示ニュースで首相官邸の屋上にドローンがおちていたと。放射性物質も検知されたというから、本当に怖い話です。

  名古屋到着。中央線で鶴舞まで行こうと思ったら、「多治見で人の蝕車事故があり、中央線は運転を見合わせています」の電光掲示。何で最近の私はこんな事ばっかりに出会うのだろう! でも、私は事故を起こしてないので良かった・・・と思うことにした。地下鉄でちゃんと帰れるし。とにかく無事に一日がすぎました。証拠写真は富士山と東京駅。
posted by Hiromi at 16:48| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月21日

ガイアの夜明け

 高世さんから、「南医療生協」の取材をしている事は聞いていましたが、今日放送されます。テレビ愛知で夜10時からです。
**************************************

4月21(火テレビ東京 ガイアの夜明け よる10時

いま、地域革命が始まる!

 住民自らの手で、理想の医療や介護サー ビスをつくり、さらには住民同士が密接なコミュニケーションをとれる拠点も創り出そうという地域がある。愛知県南部の「南医療生協」だ。 一方、江戸時代から続く林業の町が、地域活性に向け大きな試みを始めた。岡山県・真庭市で4月に開業した大規模バイオマス発電所。これま で"やっかいもの"だった端材や木くずが、新たなエネルギー源として活用されようとしている。住民のアイデアと実行力が地方を変える..."地域革命"が始まった。

 *************************************

 又メーテレの「UP!」では、戦争と、今の日本を見つめる企画がスタートしています。終戦記念日に向けて、メディアの底力を見せて欲しいです。それには良い番組を見たら、すぐ局に感想を送ること。世論は私達のものだから。家にいて、一人でやれる社会活動です。

posted by Hiromi at 08:32| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月19日

イラク派兵違憲判決をどう生かすか

イラク判決7周年.jpg 昨日のこと。「イラク派兵違憲判決をどう生かすか」名古屋集会。判決から7年 今、あらためて違憲判決の意味を確認する~ この集会は訴訟の弁護団が主催しましたが、訴訟時からはや10年。皆歳をとりましたが、何とか、この判決を、今、今 こそ生かさねばと、メモリアル行事でもあり、判決の実効を願い方法を模索する会でもありました。
 弁護団長の趣旨挨拶の後、裁判当時、法廷でも一部上映された西谷文和さんのファルージャなどでの悲惨な映像などが一部映され、あらためて胸が痛くなりました。田巻弁護士からの「事実関係」の復習、中谷弁護士からの「戦争法制」の憲法の問題点、岩月弁護士からの「対IS戦争と平和的生存権」、北海道から飛んで来られた佐藤弁護士の主に自衛隊の内部実態からの「全国的な運動の可能性」、長野からも駆けつけた毛利弁護士からの「今後の運動提起」。コーディネイトと司会は川口弁護士でした。

 憲法9条は、制憲議会で吉田首相が自衛戦争を含む一切の戦争をはっきり否定しました。集団的自衛権は、今の安倍首相のおじいさんの岸首相も否定しています。あれから憲法9条は何も変っていないのに、政府の姿勢と解釈が大きく変った! 「日本を守るためになる米軍やよその国の防護をするのはいいじゃん! 自衛隊法も周辺事態法も改正するんじゃぁ! 他所の国の後方支援をしなくっちゃ! 多国籍軍の武力行使と一体化するんじゃーっ!  世界は変ったんじゃーっ! 人道復興支援なんじゃーっ! 」って、清く勇ましそうな言葉を並べて戦争をして、わざわざ破壊しといてから復興支援の美談を作るんだよね。これを繰り返して、さんざん辛い思いをしたから、もう止めようって言っているのに。

 会場から、「ピースボートに乗ってソマリア海峡を通過した時、海上自衛隊の護衛艦に手を振った」という体験談が出ましたが、中谷弁護士は「そもそも私たちは武力によらない平和を求めている。なぜソマリア海峡で海賊になったか、その漁師たちの事を考えることから始めなければ、解決にならない」と応えました。ソマリアの内戦を中止させて、政府を確立させるための援助プログラムが必要という事でしょう。それも勿論簡単なことではないけど。

 北海道から来られた佐藤弁護士のお話には自衛隊関係を手がけている弁護士だけに驚くことばかりでした。昨年の7月1日の集団的自衛権の行使を認めた閣議決定以降、自衛隊員からの相談が急激に増え、判決が再評価されているそうです。閣議決定後、入隊する若者は確実に減ってきているし、直近5年では、自衛官の自殺率が国民平均を45%も上回っているそうです。又、陸上自衛隊で「戦死(殉死)への覚悟を求める遺書」の強要が始まっていて、書かされた遺書を返して欲しいという訴訟も始まっているとのこと。実際に関わっている弁護士からの報告ですから、生々しさはこの上ありません。今、今のことですよーーー! 昔の話じゃぁないんだ。

 参加者席から私もちょこっとマスコミを応援しようと発言したけど、最後に山中光茂松阪市長も名乗って発言されたのには「おおっ! 」と驚きました。集団的自衛権は憲法違反だとして違憲確認を求めて提訴した、その人です。ロンパース フェイスタオルのカーディガン小.jpg

 川口弁護士のまとめは「私達の訴訟のテーマは"強いられたくない 加害者の立場を"でした・・・私たちは事実を踏まえた上での想像力が必要です。」そうだそうだ。何がお国のためだ。武器を売って儲ける奴等の手先になるのはごめんだぞ。可愛い子どもや孫を加害者にさせないぞ。

posted by Hiromi at 08:36| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月17日

自然の節度

  昨日庭の隅で胎盤とへその緒がくっついた猫の胎児を見ました。脚も4本、尻尾もついています。しかし全く毛はなく、5pほどの体長で、『こんなんで生まれるのかなぁ?』と、埋葬はしたものの、ずっと心に引っ掛かっていて、ネットで調べました。
 お産のときに正常子と同時に死亡した胎児が生まれることはよくあることだと書かれていました。 胎盤だけが出てくることもあり、胎盤をよく見ると、死んだ小さな胎児がちゃんと膀の緒にくっついていると・・・。これは胎児が妊娠の早期に死んでいて、元気な胎児が妊期を全うして生まれるときに一緒に娩出されたものとのこと。このような現象は、イヌでは起こらず、ネコにだけ起きるのはよくわかっていないらしい。ネコの場合は、胎児が死んでも胎盤は死なずに成長し、統計的には、妊娠しているネコの約30%が死亡胎児を持っているということが明らかになっているって!!! あぁ、まさにこれだわ!!!

 自然界って本当に不思議。桜はもう初々しい若葉をそよがせ、柿の葉は日々ぴかぴかの葉っぱで大あくびをしているように大きくなっています。何かの叡智がなければこんなにうまく地球に生き残れていないはず。原発の再稼動を許さないと、裁判所が言おうが、辺野古には絶対基地を作らせないとキッパリ言おうが、聴く耳持たず、「粛々と」ということばさえ使えば、冷静で意志の強い政府をアピールできると思っている政府。気に入らない放送をすれば、呼びつけて偏向放送をするなとメディア介入。自然じゃない。自然の節度がない。絶対無理がある。暴走です。

 スマホ女子.jpg誘われ、何年かに1回の別口三人組ランチ。私が一番若いんだけど、70歳が1ヵ月後に迫っているAさんに「後ろから見たら30歳に見えるよ」とお世辞を言ったら「いやぁ、40歳くらいでしょ?」若作りに命をかける現役のバリバリさんです。歌舞伎俳優とのトークショーの仕事を控えて勉強中でした。もう一人のITに強いBさんはスマホに入れた自作の作品を見せてくれました。スマホ展示館.jpg新聞紙のカラーのところをぬらしてちぎって貼った「ちぎり絵」。はーーん、色々な手法があるもんだね。
 私は清く貧しくしょぼくれているけど、一生懸命私の話を聞いてくれる友たち。感謝。
posted by Hiromi at 20:57| 愛知 ☀| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月15日

つづき

小17.河和水上機基地スリップ2.jpg 小18.大井魚雷艇格納庫1.jpg 小19.大井魚雷艇格納庫2.jpg

D河和水上機基地スリップ

河和海軍航空隊水上機基地跡で、1943年、河和に海軍航空隊が出来、水上機による特攻訓練が行なわれ、ここから次々沖縄方面に出撃していきました。


E大井魚雷艇格納庫

大井漁港の南から弘法大師が上陸したとして海に像が立っているのですが、そこへ行くまでの道に大井回天特攻基地跡がありました。水中特攻兵器「回天」の格納壕が5つあって、中で繋がっていたそうです。「回天」は魚雷に操縦席と潜望鏡を作って体当たりする特攻兵器。いわゆる人間魚雷”で長14.7m直径1m1944(昭和19)年以降に量産されました。なんと哀しい虚しい・・・。


F片名震洋基地地下壕 

「震洋」とはベニヤ板張りの一人乗りモーターボート。 エンジンは67馬力 トヨタのトラック用を搭載し 前部に炸薬250kを装着した全長5.1m重量1.4tの特攻用兵器でした。本土決戦に備えて量産されたけど、この基地には備えられないまま敗戦となりました。


【おまけ】尻餅をついた時、ポケットに入れていた携帯を落としたらしく、車の中でいくら探しても見つかりません。河和まで行く途中で気がついたので、帰り道に、泣く泣くもう1回雨の山登り。30分ほど探して、奇跡的にHさんが竹の子の蔭に隠れていたのを見つけてくれて、感謝感激雨霰でした。無用の長物、無駄の塊、軍隊の虚しさ(強さじゃない!)をかみ締めた一日でした。池田先生、ありがとうございました。長距離を運転してくれたHさん、ありがとうございました。



posted by Hiromi at 00:04| 愛知 ☔| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月14日

海軍の戦跡を巡る(下調べ)


 9時金山でHさん運転の車に乗り込み、Kさんと私の3人で戦跡巡り。つまりは7月4日の講演会の午前中にする予定のフィールドワークの下見です。あいにくの雨でしたが、収穫満タンのミニ旅行でした。
 @まずは熱田神宮南門の鳥居。右の鳥居の上の部分に焼夷弾のキズがあるそうですが、高いので探し当てられませんでした。
 小1.150414熱田神宮南門の焼夷弾の傷.jpg 小2.東南海地震犠牲者の慰霊碑1.jpg 小3.東南海地震犠牲者の慰霊碑韓国語.jpg

A名南ふれあい病院敷地内にある、東南海地震犠牲者の慰霊碑。1944年12月7日、東南海地震(M8)が東海地方を襲い、軍用機を生産していた三菱名古屋航空機製作所道徳工場に動員されていた労働者と学徒51人に加え、朝鮮半島から強制連行されていた朝鮮女子勤労挺身隊員6人も犠牲になりました。 石碑には『悲しみを繰り返さぬよう ここに真実を刻む』と記されています。毎年12月7日には遺族、元職場関係者、名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会々員、地元有志などによって追悼式が行われているそうです。韓国語の碑もありました。

B南区笠寺公園にある見晴台遺跡。

 見晴台遺跡には、昭和17年(1942年)に高射砲陣地が構築されており、一個中隊が配備されていました。八八式7.5cm野戦高射砲6門が、陣地南側に25メートル間隔で弧を描くように設置され、昭和19年(1944年)には高射砲大隊本部もここに置かれました

小5.高射砲台跡.jpg 小9.砲台跡 看板の説明.jpg  小7.見晴台B29翼破片展示.jpg    

C高射砲隊太佐山陣地
 ここは本日のクライマックス。雨の中、案内してくださったのは、すぐ近くにお住まいの敗戦時21歳の上等兵だった池田さん。名古屋港で高射砲隊の観測兵だったそうです。91歳。長靴を履き、南天の木で作った自作の杖で、今は草と竹に覆われた道なき山を(雨で葉っぱが積もっている山の傾斜は本当に危ない!)しっかり登り降りして案内してくださいました。ふがいないのは私の方で、ドッスンと尻餅をついてベトベトになりました。傘さして、竹の子も持ってだからバチがあたったのだよね。

 池田さんは戦後は中学校や高専で歴史の先生を長くされていたので、古代からの歴史に大変詳しく、まるで授業を受けながら歩いているようなものです。戦争なんか大嫌いで兵隊になりたくなかったけど、乙種合格で二等兵から終戦上等兵。(終戦で兵隊は皆階級が1つ上がりました)なぜ観測兵になったか、どんなことをしていたか、昨日のことのようにしっかり話してくださるのです。写真で見ると平坦な道に見えるのですが、これが本当に大変で、傾斜が多くて、ほとんど道はなく、竹をくぐっては乗越え、ツルツルしながらグチュグチュの雨道を進むのです。最後に案内役をしたのが20年前だそうで、その頃はしっかり残っていたそうですが、今はもうすっかり葉と竹薮に隠れてしまって、わずかにコンクリートの破片が残っていただけでした。子どもの頃は木も竹もなく、ただの遊び場だったとのこと。こんなところから、B29が来るのを観測しては伝達してたんだ! 負けるよね。

 先生の話は多岐にわたっていて、とても楽しく、時間を忘れました。こんなにお元気なのは、若い頃から心理学が好きでユングの「幸福の5か条」の生き方を実行してきたとのこと。
「 幸福の5か条 」 ・心身ともに健康であること。/・朝起きて今日やることがあること。/・美しいものを見て美しいと思えること。/・楽しい人間関係を保てること。/・ほどほどにお金があること。
 
  朝起きてやることがあるという事が一番大切だというのが印象に残りました。そして楽しい友をもっていること。ユングさんに賛成! 私もあやかろう!
 小10.高射砲隊太佐山陣地入り口.jpg 小14.高射砲隊太佐山陣地竹を越えて.jpg 小13.高射砲隊太佐山陣地91歳池田さん.jpg 小15.高射砲隊太佐山陣地コンクリート破片.jpg 
<つづく> 


続きを読む
posted by Hiromi at 23:59| 愛知 ☔| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月13日

社会的調和が抑圧や無知から由来することはない

 カーステン・ガーミスさん。2010年に来日、ドイツの「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」の特派員として2015年まで東京に滞在し、2011年の東日本大震災も取材しました。2012年末に第二次安倍政権が発足した後に、圧力を受けるようになったそうです。そのガーミスさんが書いた記事を素早く日本語に訳してくださっているブログがあります。http://blog.tatsuru.com/ 。かなり長いけど、統一地方選挙の結果が出たところで、かみ締めたい文章です。転載します。
****************************************************
「ある海外特派員の告白 5年間東京にいた記者からドイツの読者へ」
Carsten Germis
 さて、荷造りも終わった。ドイツの日刊紙Frankfurter Allgemeine Zeitungの特派員として東京で5年以上を過ごしたあと、私はもうすぐ東京から故国へ旅立つ。
 私が今離れてゆこうとしている国は、2010年1月に私が到着したときに見た国とはもう別の国になってしまった。表面的には同じように見える。けれども社会の空気は緩慢に、だがあらわに変化しつつある。その変化は過去1年間の私の書いた記事にしだいに色濃く反映するようになった。
日本の指導層が考えていることと海外メディアが伝えることの間のギャップは日々深まっている。それによって日本で働く海外ジャーナリストたちの仕事が困難になっていることを私は憂慮している。もちろん、日本は報道の自由が保障された民主国家であり、日本語スキルが貧しい特派員でも情報収集は可能である。それでもギャップは存在する。それは安倍晋三首相のリーダーシップの下で起きている歴史修正の動きによってもたらされた。
 この問題で日本の新しいエリートたちは対立する意見や批判をきびしく排除してきた。この点で、日本政府と海外メディアの対立は今後も続くだろう。
 日本経済新聞は最近ドイツ首相アンゲラ・メルケルの2月の訪日についてベルリンの同社特派員のエッセイを掲載した。特派員はこう書いた。
 「メルケルの訪日は日本との友情を深めるよりも日本との友情を傷つけるものになった。日本の専門家たちを相手に彼女はドイツの原発廃止政策について議論し、朝日新聞を訪問したときも安倍と会談したときも彼女は戦争をめぐる歴史認識について語った。野党第一党民主党の岡田克也代表とも対談した。彼女が友情を促進したのはドイツ企業が経営している工場を訪れて、ロボット・アシモと握手したときだけであった。」
 これはドイツ人にとってはかなり気になる発言である。百歩譲ってこの言い分に耳を傾けるとして、彼の言う「友情」とは何のことなのか? 友情とはただ相手の言い分を鵜呑みにすることなのか? 友人が間違った道に踏み込みそうなときに自分の信念を告げるのは真の友情ではないというのか? それにメルケル訪日にはいくつかの目的があり、単に日本を批判するために訪日したわけではない。
 私自身の立場を明らかにしておきたい。五年を過ごした日本に対する私の愛着と好意は依然として揺るぎないものである。出会った多くのすばらしい人々のおかげで、私の日本に対する思いはかつてより強いものになった。ドイツ在住の日本人の友人たち、日本人の読者たちは、私の書いた記事に、とりわけ2011年3月11日の出来事からあとの記事のうちに、私の日本に対する愛を感じると言ってくれた。
 しかし、残念ながら、東京の外務省はそういう見方をしていないし、日本メディアの中にも彼らと同じように私をみなしている人たちがいる。
 彼らにとって私は、他のドイツメディアの同僚たち同様、日本に対して嫌がらせ的な記事を書くことしかできない厄介者らしい。日経のベルリン特派員の言葉を借りて言えば、日独両国の関係が「フレンドリーなものでなくなった」責任は私たちの側にあるようだ。
 本紙は政治的には保守派であり、経済的にはリベラルで市場志向的なメディアである。しかしそれでも本紙は安倍の歴史修正主義はすでに危険なレベルに達しているとする立場に与する。これがドイツであれば、自由民主主義者が侵略戦争に対する責任を拒否するというようなことはありえない。もしドイツ国内にいる日本人が不快な思いをしているとしたら、それはメディアが煽っているからではなく、ドイツが歴史修正主義につよい抵抗を覚えているからである。
 私の日本での仕事が始まった頃、事情は今とはまったく違っていた。2010年、私の赴任時点で政権党は民主党だった。私は鳩山、菅、野田の三代の内閣をカバーし、彼らの政策を海外メディアに伝えようした。私たちはしばしば政治家たちがこう言うのを聴いた。「まだまだなすべきことは多く、もっとうまく国政運営ができるようにならなければならない。」
 例えば、海外ジャーナリストは頻繁に意見交換のために岡田克也副総理に招待された。首相官邸では毎週ミーティングが開かれ、当局者は程度の差はあれ直面する問題について私たちと議論することを歓迎していた。問題によっては私たちは政府の立場をきびしく批判することをためらわなかった。しかし、当局者たちは彼らの立場をなんとか理解させようと努力を続けた。
 反動は2012年12月の選挙直後から始まった。新しい首相はフェイスブックのような新しいメディアにはご執心だったが、行政府はいかなるかたちでも公開性に対する好尚を示さなかった。財務大臣麻生太郎は海外ジャーナリストとはついに一度も話し合おうとしなかったし、巨大な財政赤字についての質問にも答えようとしなかった。
 海外特派員たちが官僚から聴きたいと思っていた論点はいくつもあった。エネルギー政策、アベノミクスのリスク、改憲、若者への機会提供、地方の過疎化などなど。しかし、これらの問いについて海外メディアの取材を快く受けてくれた政府代表者はほとんど一人もいなかった。そして誰であれ首相の提唱する新しい構想を批判するものは「反日」(Japan basher)と呼ばれた。
 五年前には想像もできなかったことは、外務省からの攻撃だった。それは私自身への直接的な攻撃だけでなく、ドイツの編集部にまで及んだ。
 安倍政権の歴史修正主義について私が書いた批判的な記事が掲載された直後に、本紙の海外政策のシニア・エディターのもとをフランクフルトの総領事が訪れ、「東京」からの抗議を手渡した。彼は中国がこの記事を反日プロパガンダに利用していると苦情を申し立てたのである。
 冷ややかな90分にわたる会見ののちに、エディターは総領事にその記事のどの部分が間違っているのか教えて欲しいと求めた。返事はなかった。「金が絡んでいるというふうに疑わざるを得ない」と外交官は言った。これは私とエディターと本紙全体に対する侮辱である。
 彼は私の書いた記事の切り抜きを取り出し、私が親中国プロパガンダ記事を書くのは、中国へのビザ申請を承認してもらうためではないかという解釈を述べた。
 私が? 北京のために金で雇われたスパイ? 私は中国なんて行ったこともないし、ビザ申請をしたこともない。もしこれが日本の新しい目標を世界に理解してもらうための新政府のアプローチであるとしたら、彼らの前途はかなり多難なものだと言わざるを得ない。当然ながら、親中国として私が告発されたことをエディターは意に介さず、私は今後も引続きレポートを送り続けるようにと指示された。そしてそれ以後、どちらかといえば私のレポートは前よりも紙面で目立つように扱われるようになった。
 この二年、安倍政権の偏りはますます増大してきている。
 2012年、民主党がまだ政権の座にあった頃、私は韓国旅行に招待され、元慰安婦を訪ね、問題になっている竹島(韓国では独島)を訪れた。もちろん韓国政府によるPR活動である。しかし、それは議論の核心部分に触れるための得がたい機会でもあった。私は外務省に呼ばれ、食事とディスカッションを供され、その島が日本領であることを証明する10頁ほどのレポートを受け取った。
 2013年、すでに安倍政権になっていたが、三人の慰安婦へのインタビュー記事が掲載されたあと、私は再び召喚された。今回もランチ付きの招待だったし、今回も首相の見解を理解するための情報を受け取った。
 しかし、2014年に事態は一変した。外務省の役人たちは海外メディアによる政権批判記事を公然と攻撃し始めたのである。首相のナショナリズムが中国との貿易に及ぼす影響についての記事を書いたあとにまた私は召喚された。私は彼らにいくつかの政府統計を引用しただけだと言ったが、彼らはその数値は間違っていると反論した。
総領事と本紙エディターの歴史的会見の二週間前、私は外務省の役人たちとランチをしていた。その中で私が用いた「歴史をごまかす」(whitewash the history)という言葉と、安倍のナショナリスト的政策は東アジアだけでなく国際社会においても日本を孤立させるだろうとうアイディアに対してクレームがつけられた。口調はきわめて冷淡なもので、説明し説得するというよりは譴責するという態度だった。ドイツのメディアがなぜ歴史修正主義に対して特別にセンシティブであるのかについての私の説明には誰も耳を貸さなかった。
政府当局者から海外特派員へのランチ招待数が増えていること、第二次世界大戦についての日本の見解を広めるための予算が増額されていること、そして海外特派員のボスたちがしばしば招待されていること(もちろん飛行機はビジネスクラス)は私の耳に届いていた。たぶん彼らへの提案は慎重に行われたのだと思う。このエディターたちは最高レベルの政治的PRにさらされてきており、そういうものに慣れ切っているから、うかつなことをすると逆効果になるからである。
 私が中国から資金を受け取っているという総領事のコメントについて私が公式に抗議したときに、私が告げられたのは、それは「誤解」だということであった。
 以下は私の離日に際してのメッセージである。私の同僚たちの中には意見の違うものもいるけれど、私自身は日本において報道の自由が脅かされているとは思っていない。たしかに民主党政権下に比べると政府批判の声は低くなってはいるけれど、依然として報道されている。日本の政治的エリートたちの内向き姿勢と、海外メディアとオープンなディスカッションを避ける政府高官たちの無能はいまのところ報道の自由に影響を与えるほどには至っていない。それに、情報を集めるためにはそれ以外にいくらでも方法がある。それでも、民主制においては、政策を国民と国際社会に対して説明することが、どれほど重要であるのかを安倍政権がよく理解していないということはあきらかである。
 海外特派員の同僚たちから自民党は広報セクションに英語を話せる職員を配置していないとか、外国人ジャーナリストには資料を提供しないとかいう話を聞いても、私はもう驚かなくなった。海外旅行が多いことを自慢している現在の首相が海外特派員協会で私たちを相手にスピーチするための短い旅についてはこれを固辞していると聞いてももう驚かなくなった。ただ、私の気持ちが沈むのは、この政府が海外メディアに対して秘密主義的であるだけでなく、自国民に対しても秘密主義的であるからである。
 過去5年間、私は日本列島を東奔西走してきた。北海道から九州まで東京以外の土地では私が日本に対して敵対的な記事を書いているという非難を受けたことは一度もない。反対に、さまざまな興味深い話題を提供され、全国で気分のよい人々に出会ってきた。
 日本は今もまだ世界で最も豊かで、最も開放的な国の一つである。日本に暮らし、日本についてのレポートを送ることは海外特派員にとってまことに楽しい経験である。
 私の望みは外国人ジャーナリストが、そしてそれ以上に日本国民が、自分の思いを語り続けることができることである。社会的調和が抑圧や無知から由来することはないということ、そして、真に開かれた健全な民主制こそが過去5年間私が住まっていたこの国にふさわしい目標であると私は信じている。
**********************************
posted by Hiromi at 09:25| 愛知 ☔| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月11日

選んではいけない人


 地方自治ジャーナリストの相川俊英さんという方が、「選んではいけないNG候補」の見分け方 5箇条というのを挙げています。そうだよね、当然って思う。だいたい、議員さんのHPを見れば、真面目で真剣な人かどうか一目瞭然なんだけど。

 要約すると

@ホームページやフェイスブック、ポスターなどで知事や市区町村長、国会議員、地元外の著名人との関係の深さをしきりにアピールする候補者。


A自分の手柄話ばかりする人や逆に自分の意見を言わない候補者単なる員数要員で終わってしまう


B自分の地元や支持団体、支持者にばかり目を向けている候補者。運動会や新年会、入学式や葬儀といったセレモ二やイベントにこまめに出席し、そうした写真をホームページやフェイスブックにアップする人そうした活動は議員活動ではなく、顔と名前を売り込む票固め活動。自分が議員であり続けるために汗を流している


C選挙公約具体性に乏しく、スローガンやポエムのような公約を掲げている人。逆にテンコ盛りしている人や政党やどこかのマニフェストのコピぺを載せている人


D自分のビジュアルやイメージを常に意識し、それをアピールする候補者。見た目だけで議員を選ばない。


 かつて、アラ80歳のGさんと話していた時。「文章が書けないO君が選挙に出るって、公報に載せる文章を私に頼みに来たんだ。書いてやって、まあ、受かったからいいけど、実際議員やってるのをみると、いいのかなぁと思うよ」という話が飛び出しました。以来、G&Oさんに興味なし。何で毅然として断らんのかなぁ。「あんたは議員になっていけない」と。何で恥ずかしいことを頼んでまで地位が得たいのかなぁ。白けることが多いけど、絶対棄権はしないいようにしよう。 棄権は今以上に政治を悪くすることだけが確実だもんね。

posted by Hiromi at 20:36| 愛知 ☀| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月09日

抱っこ紐

 今時、赤ちゃんとの外出は抱っこ。昔はみんなおんぶ。何時からこういうことになったのかしら? 有名メーカーの抱っこ紐がけっこうな値段で、まるでリュックのよう。リュックと違うところは、荷物(赤ちゃん)を降ろすと、折りたたみがけっこうかさばって、直ぐ又抱っこするとなると、はずしたままぶらんぶらんと垂れ下がらせておくことになります。私は負ぶい紐は袋を作って入れていて、今でも、直ぐ使えるようにしています。戦時中に母が兄をおんぶした手作りの負ぶい紐も一緒に入れてあります。昔は何でも自分で作らなければなかったんだなぁと、みすぼらしい紐を見ると思うんだけど。

 リクエストに応えて、抱っこ紐収納カバーを作り、抱っこ紐に装着する、以前作ったよだれカバーを、洗い替えにもう一つ作りました。役立つといいんだけど。3,4歳の頃だったと思う。父と外出して、途中で嵐になり、抱っこ紐カバー.jpg父は私を道で拾った縄で背中に負ぶいました。雨にずぶぬれで、家の玄関に入った途端、わぁわぁ泣いたことを今でも覚えています。縄でおんぶは災害時の最悪の時で、めったにないことでしょうが、昔は「帯」とも言ってたくらいだから、父の三尺帯でも時々負ぶい紐の代替に使っていたように記憶しています。とにかく咄嗟のとき、単なる1本の紐や布でも、なんとしても赤ちゃんを背負って逃げる練習をする必要はあると思います。 

 今日、完成品を送るのに郵便局に行った帰り道、白髪のお婆ちゃんが抱っこしている後ろ姿を見て、あら、お年よりも遂に前で抱っこするようになったのかと、通り過ぎてみたら、犬を抱いているのでした。そういえばいつか、犬をねんねこでおんぶしている男の人の写真を載せたことあるねえ。世界的にはどっちが多いのかしらと、平和なことを考えたりしたのでした。
posted by Hiromi at 21:55| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

赦しの花

  紫金草が庭で満開です。パラオが話題になってるけど、日本から持っていった花が戦争で亡くなった全ての人の鎮魂と平和を祈る。想いをこめて巻いた種、咲く花。こういう花物語は世界には色々あるんでしょうね。中国には紫金草の他に、もう一つ「平和の花の種」物語があります。
****************************************************

「平和の花の種」50年後に撫順に戻る 日本戦犯の遺志実現

 2007年1112日,   (中国通信=東京)

  瀋陽11日発新華社電によると、中国の撫順戦犯管理所で改造を受けた日本の元戦犯で、故人となった副島進さんには生前、一つの願いがあった。それは管理所から贈られたアサガオの種を再び管理所に戻すことだった。今月10日、中国の若い女性、孫穎さんの助けで、アサガオの種が海を渡って元管理所の花壇に植えられた。


撫順戦犯管理所であまり人に知られていない出来事があった。1956年、戦犯が釈放される際、管理教官の呉浩然さんは副島さんにアサガオの種を贈り、「再び中国を訪れる時には、銃を持って侵略に来るのではなく、平和の象徴の花を持ってくるように」と語った。これは副島さんの心に残った。

半世紀余りがすぎ、中日双方とも当事者がすでに世を去った。しかし、アサガオの種の話は残った。大連医科大学で学んでいる大学院生の孫穎さんは、論文を完成させるための戦犯資料の収集に訪日した際、この美しい話を聞き、副島さんの夫人に会いに行った。副島夫人によると、副島さんは帰国後、庭にアサガオの種を植え、また種を近所にも分けた。毎年春になると庭にアサガオが咲いた。副島家はこの花を「赦しの花」、「平和の花」と呼んでいる。


副島夫人は孫さんに「副島は今年7月に亡くなりました。中国人民の赦しのおかげで、生きて帰国でき、91歳まで生きることができました」と語った。夫人は孫さんにアサガオの種13粒を撫順戦犯管理所に渡すよう頼んだ。夫人は「これは副島の遺志」と語った。

日本の戦犯は中国政府から釈放されて帰国した後、「中国帰還者連絡会」という組織を結成した。この組織は副島さんとアサガオの種の話を「赦しの花」と題する絵本にまとめた。絵と日本語、中国語で副島さんが軍隊に入り、中国を侵略し、捕虜になり、撫順で改造を受けたことを記している。(以下略)

 ***************************************************


posted by Hiromi at 21:22| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月08日

船内「声・こえ・声〜講談と朗読の楽しみ〜」

 昨夜の「音声表現研究会」は11月22日から3月6日までの3ヶ月半ピースボートに乗って来たNさんの船内活動のレポートでした。「非豪華客船」と、笑いながらのエピソード満載。「声・こえ・声〜講談と朗読の楽しみ〜」というグループで船内練習を重ね、大人気となって、最後の「劇団張り扇公演」は大成功だったそうです。公演の内容は第一部が講談で、忠臣蔵や金色夜叉他、カルメンまであります。第二部が朗読で「外郎売」や北原白秋の「おまつり」という定番の他、平和を願っての詩の朗読も茨木のり子さんや金子みすゞなど、盛り沢山のプログラムです。とても興味深いお話でした。

 Nさんは定年まで高校の世界史の先生で、定年後、5年前も北廻りのピースボートに乗られたのですが、今回は南廻り。南北問題をつくづく感じたというお話も印象的。愛知・県民の手による平和を願う演劇の会(通称平演会)の活動をずーっとされて来ました。チリのイースター島のモアイ像も見たそうです。なぜ造られたかについては「祭祀目的で立てられた」と推測されてはいるけれど、謎のまま。それは、文字が解明されていないからです。「文字がない」こと、だから声の文化が伝えてきたこと・・・と話は発展しました。声は形はないけど、人々の世代を超えて魂、精霊に伝わり生き続けていくのだ。

 こういう世界史の先生が現役で教壇に立っていらしたらすばらしいだろうな。

昨日、文科省は中学校教科書検定結果を公表しました。政府見解等を教科書に記述させるということで、領土問題が全社会科教科書に盛り込まれたことがニュースになっていましたが、

http://manabisha.com/ 

という、前・現職の歴史教師たちが集まって作った「子供と学ぶ歴史教科書の会」が設立した出版社「学び舎」の教科書が検定合格して、2011年以後中学校教科書からは消えた慰安婦関連記述を4年ぶりに復活させたそうです。やり方はあるのですね。        


posted by Hiromi at 08:51| 愛知 ☔| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月07日

無視された猫柄の猫のリボン

猫柄のチュニックとパンツセット.jpg 猫柄ふりふりパンツ.jpg バラの猫柄のリボン.jpg

 リクエストがあったので、フリフリパンツとチュニックのセットを作ってみて、バラにおこぼれのリボンを結びました。猫柄だからね。初めて作ったので、、あまりうまくない。本人が言うのだから、確かである。そして、デパートの子供服売り場でいつも値段が高い高いと思っていたことを反省しました。布が少ないのだから安く出来るはずと思いがちだけど、とにかく細かい細かい作業で、手間隙がかかること大人もの以上であることが分かりました。何でもやってみないと、わかんないんだね。
 さあ、気分転換もしたので、今から東海音声表現研究会に出かけます。

続きを読む
posted by Hiromi at 15:53| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月05日

はなももコンサート

はなももコンサートの花桃.jpg 昨日、花見の最中に突然ホームコンサートのお誘いを受けました。「伺いまーす!」とメールで返事。お庭の源平桃が満開になったので、お婿さんに頼んで花桃をながめながらチェロの演奏を聴くという世にも幸せなコンサートです。(どうも、照れたママの還暦のお祝いの臭いがしないでもない)娘さんご夫婦からこんなお祝いをしてもらえるなら、最高。観客は家族、ママの友だちやご近所の皆さん。♪プログラムは
@A.ピアソラ リベルタンゴ はなももコンサートチェロ.jpg
A久石譲 おくりびと 
BC.サンサース 組曲「動物の謝肉祭」より白鳥 
CJ.S.バッハ 無伴奏ソロ組曲
  第一番よりプレリュード  メヌエット 
  第三番より サラバンド 
DG.カサド 無伴奏チェロ組曲より プレリュード

 「おくりびと」が聴けて映画の場面を思い出したり・・・、演奏の後は漫談?で盛り上げる役者さんもいて、リビングは笑いの渦。そしていよいよ集まった15人くらい? に重箱に詰めたたけのこ御飯やチラシ寿司や桜餅、ケーキなど、オール手作りでまたまた感動。お客さんたちもなにがしか手作りのデザートなど持ち寄られて、私は逆立ちしてもできないことなので、もっぱらパクパクお口に運びました。ワンコインを徴収して被災者に全額寄付するという仕掛けもついていて、ママのアイディア、友だち、家族という財産は春のように輝いていました。
藤が丘の桜祭り.jpg
 こんな天国にいるような幸せな時間を持てたことに感謝。大切な一日でした。リニモの長久手合戦場駅まで送ってもらって藤ヶ丘で乗り換えのために下車したら、桜祭りをやっていました。雨の中大変そう。春になったねぇ!又来年も一緒にこんな春を迎えよう!ありがとうございました。

posted by Hiromi at 20:13| 愛知 ☔| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月04日

朋あり遠方より来る、また楽しからずや

 誰もみていない桜.jpg 3人組でブラッスリー・クーでランチしてからお花見。植田川のほとりの雪柳と桜ふぶきの公園.jpg公園の桜吹雪と雪柳の共演が素晴らしかった!!しかも誰もいなーい。天白川へ出て、桜並木を眺めつつ歩きしゃべるしゃべる。そのまま桜のトンネルのバス通りをテクテクテクテク。歩く歩くしゃべるしゃべる。とうとう我が家に到着しました。会えるのは1年に1回か2回。昨夜も知人のお通夜に行ってきたばかりのYさんは「もう、これからは会えるときに会っておかないと」。2人は70代だもんねぇ。私だって秒読み段階だし。「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」。
 夕刻見送ってから、思い立ってミシンを出して、裁縫。明日は朋の家に行くのだわ。
posted by Hiromi at 23:58| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月02日

親愛なる日本戦友諸君!

  昨日の夜のテッカイの会議でいっぱい宿題を貰ってきたので、今日はバンバン仕事をかっ飛ばしました。7月4日に3周年の記念講演会をするにあたって、せっかく名古屋港でするのだから、午前中に希望者を募って、港周辺の戦跡をまわるフィールドワークをしたいねということになって、下見を今月することになりました。それで、「愛知の戦争遺跡ガイド」という本を借りて、直ぐ読み始めたら、31日に広島のテレビ局のFさんと話していたことにピタリと合致し、自分の不勉強というか、知らなかったーーーーーと、驚いたことがあります。つまり、日本で軍隊が最初に海外に出たのが、明治27年、広島の宇品港で日清戦争だったんですね。宮中から広島に大本営が移されたこと。念のために、「戦友」(昭和戦史研究会 地方人事調査会編)を取り出して調べたら、ここにも詳しく書かれていました。広島の「金鵄塔」が「平和塔」に名前が変った訳は、アメリカ進駐軍への配慮だったのかな。日本はもう獰猛・・・いや、勇猛な「金鵄」ではございませんと。

 松井岩根記録文.jpgそれから、もっとびっくりしたことが!父の足取りを真面目に考えてみようと、 「歩兵第六聯隊歴史」という重い本を丁寧に調べていたら、関東軍の国境警備から帰還した時、大連から直接名古屋港に帰ったのかと思ったら、広島の似島の検疫所で検疫を受けてから帰っていたのです。ギャッ! 似島なら、2011年の3月に行ってきたよー。ゲンの行動した場所を確認しに。そうだ、福島の原発事故の報道を宇品港から似島に渡る船の中で見ていたんだ! その時、こんな事知っていたら、もっともっと記念碑などを回るんだった。
 松井岩根(上海派遣軍司令官として2個師団(約2万)を率いて、20万の中国軍の待つ上海に向けて出港した)が書いている文章も発見。上海に到着した時に、敵の飛行機から散布されたチラシを書き留めています。クリックで読める大きさになると思います。
**************************************************

親愛なる日本戦友諸君!


我々は同文同種の東洋民族の1人として相互殺戮することを止めよ!

諸君の故国日本には懐しき父母、愛すべき妻子が如何に諸君の帰りを待って居るかを想へ!諸君の貴重なる生命を軍閥の名利に捨てるな。

諸君よ直ぐに武器を放せ! 今からでも遅くない。放棄せよ!

              中日親善大同盟

 中華民国二十六年八月

 昭和十二年八月

**************************************************

  中国における日本人の反戦運動家が書いたのでしょうね。将官俘虜百円など、懸賞金まで出ていたようです。これ、今でも通用しそう。


posted by Hiromi at 23:32| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする