「仁太坊―津軽三味線始祖外聞」というアニメをPCで見たのですが、19世紀後半の三味線弾きの物語です。仁太坊が8歳の時に熱を出して目が見えなくなってしまってから、三味線に出会って、遂には比類なき演奏家になるという一生が描かれています。最後に出た文字は以下でした。
**************************************
その後、仁太坊(仁太郎)の評判は津軽地方一円に広まり、数多くの弟子が集まるようになった。それでも、彼は生涯を通じて粗末な小屋で過ごしたという。
彼が、弟子達に徹底的に叩き込んだ教えは、「他人(ひと)真似なら猿でもできる。自分の三味線を弾け!」であった。
今日、世界的に日本の伝統音楽として評価を受けている「津軽三味線」に"正調"なるものが無いのは、始祖・仁太坊の精神が受け継がれているからである。
**************************************
ずーーーーっとずーーーっと思っていたことの一つの疑問が氷解したような気持ちで読みました。ああ、すっきりした!じゃ、津軽三味線の定義は?などと調べていると、どんどん深みにはまっていくので、ここはここで中止。
昨日、襖の張替えのために、親戚の表具屋が突然現れて、全部持って行ってしまったので、今、階下はガランドウ。でも、母の従弟のIちゃん(と言っても66歳)は話好きで、私達に見本帳を見せながら、2時間ぐらい、「紙」の話をしてくれたので、何だか、幻の紙が空間を泳いでいるようで、面白い情景です。この家に両親が引っ越した時に襖を作ったのも別の親戚なので、プロ達には、「手仕事」が一目で分かります。「座敷は掛け軸や欄間額をかけるので、襖が山水の絵柄だと喧嘩しちゃうよ。Tさん、派手な仕事をしてったなぁ」と言うので、いや、これは絶対母の趣味で選んだんだと私は確信しました。母は独創力ゼロの人。「人と同じことが良いこと・お手本どおりきちんとする」を金科玉条にして生きてきたから、襖とはそういうものという思い込みで注文したのに違いありません。
私は思いっきり今までとは違うのを選びました。何はともあれ、Iちゃんは、「紙は何百年でも生きるよ」と言いましたので、ちょっぴり日本家屋の面白さも分かって楽しかったです。名も無く、何百年も残る手仕事をするってすごい。名はあってもアッと言う間に消える政治家は、名を残そうとするから消えるのだろうか。仕事を残そうとすれば、津軽三味線のように、どこまでも波動していくかも。


