2009年06月30日

教育思想家フレイレ

  昨日の映画館での一件が頭から離れません。不幸な一日だった…だけで良いはずがないからです。自分の言いたいことを伝えるのに、もっと「良い方法」、あるいは「良い言い方」はなかったかとか、本当に彼女達は次回から静かに映画を鑑賞するだろうか…というような諸々が頭を巡るのです。
  たまたま今日、ブラジルの元サンパウロ市教育長の「パウロ・フレイレの教育思想」について、池住さんからメーリングリストで送信された長い文章を読みました。フレイレは1921年~1997年、76歳没。
 フレイレが目指した教育を、超簡単に私が勝手にまとめると、フレイレは教育を終わることのない、人間の主体的・実践的行為。人間が人間であることを取り戻すこととした。その「人間化」の過程は、「伝達」ではなく自由な「対話」を用いる。結果でなくプロセスや実践を重視する。学ぶ者の創造性、主体性を徹底して喚起する教育。既存の世界にただ順応を促す教育(フレイレはこれを『銀行型教育』または『飼育の教育』と呼んだ)でなく、目の前の未完成な、問題を多く抱えた世界に批判的に向き合い、変革していく、もう一つの教育(オルタナティブな教育)を目指します。つまり、池住さんは、フレイレの思想にふれ学ぶ」とは社会に関わること、社会に立ち向かうこととした。
 1989年にフレイレが来日した時、彼は人々に向かって、「第三世界の民衆は、(教育の機会が奪われ続けているために)字を読むことができない人が多いが、彼(女)らは社会を読める。先進国の皆さん、あなたがたのほとんどは字を読める。がしかし、社会を読めますか? 自分たちの社会で、世界で今何が起こっているか、何故そうなっているか、読めますか?」。と問うたそうです。池住さんにとって、「教育とは、社会に関わること、社会に介入することですよ」という問いかけに思えたそうです。
 
 これも今日。先日の“いただいてますバスガイドさん”から和紙の素敵な封筒と便箋の手紙を“いただき”ました。「ご指摘くださったように、あらためて案内を考え直してみると、"いただく"という謙譲語の使い方を間違って覚えてしまっていました。今から少しずつ直していこうと努力している最中です。自分の日本語の間違いに気づけましたし、案内の内容も更に気をつけてマイクを持つようになりました。教えてもらわないと、なかなか気づけない自分の恥ずかしさと情けない状況に、こうしてお礼の手紙を書きながら、赤くなってしまいます…」
 私に返事を書くのに、どれだけ勇気が要ったことでしょう。本当に素晴らしいガイドさんだと思います。そして、自分のおせっかいも、こうやって、誰かの前進への後押しになったことに安堵し、ニッコリしたのでした。
 そうそう、明日の朝、NHKの「おはよう日本」(中部地区だけ)で「プロジェクト・ゲン」のレポートをみなくっちゃ。
 

posted by Hiromi at 20:06| 愛知 霧| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする