2008年05月14日

燕記者の報告

 とうとうヤバイと思って、母と一緒に受診。幸いレントゲンの結果、骨に異常はありませんでしたが膝の関節炎。リハビリもしてもらって、片足ひきひき帰宅。さすがに本日はおとなしく寝転んで、ずっと読めていなかった本を読むことにしました。あと1ヶ月半。何とかこの坂道で頑張らねばなりませぬ。

 中国の内陸部の地震は東京名古屋間の距離に当たる断層で、阪神淡路の大地震の6倍のエネルギーが働いたと聞いて、本当に恐ろしくなりました。犠牲者の皆さんを心から追悼します。特に学校の下敷きになっている子供たちのことを思うと辛い。自分自身もレンガを積んだ学校で授業を2年間していたのですから、身にせまり来るものがあるのです。当時、1976年7月に起きた唐山地震のことをよく聞かされました。文革の終る1年前ですから、日本には殆どニュースは伝わっていなかったのではないでしょうか。唐山市域は約100万人の人口といわれていましたが、死者は、唐山市で14万8000人、全体で24万人余。この大地震で市の97パーセントの土地建築物に被害があり、55パーセントの生産設備が破壊され、交通網、給水、給電、通信網などはすべて切断され、人口百万の都市は廃虚となりました。国際放送局の日本語部で毎年行われる「日本語スピーチコンテスト」で、その唐山市で奇跡的に生き残った両親から生まれて成長した学生が、感動的なスピーチをして優秀な成績をとったことが印象に残っています。
 今、中国の人たちは、きっとこのときのことを思い、歯を食いしばっていると思います。燕のブログを3日分そのまま貼り付けます。日付は逆になっていますが。
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2008-05-14 北京は集中豪雨+成都の友人に聞く 
<北京時間17:20>

雨がやみ始め、空もずいぶん明るくなりました。いつもの夕方が戻ってきました。ほっとしました。
<北京時間16:50>
気づいたら、窓の外は真っ暗でした。窓を開ければ、外はバケツをひっくり返したように大雨が降っています。ざんざか、ざんざか。。。どういうことだったのか。恐ろしい気候です。それに、最近は異常に冷え込んでいます。いつもならば、北京はもう真夏のような暑さなのに。今は、夜寝る時、冬並の布団をかけなければなりません。雷もごろごろです。
 
成都は今日の昼頃から断水になったようです。成都在住の友人・坂本静子さん(広島市出身)は日中友好のために、長年、現地でボランティアの日本語教師をしています。坂本さんはずっと、中国人のお友達の謝さんの家で下宿しています。さきほど電話したところ、なんと、地震の前日に、坂本先生は九塞溝で日本語ガイドをしている教え子からの要請で、日本語を指導するために九塞溝に入ったようです。本日の昼に、ようやく、坂本さんから謝さんの自宅に電話がかかってきましたが、「すべて無事だ。ただし、いつ戻れるかはまだ分からない」との連絡が入ったようです。神様に感謝です。ただ、電話は途中で切れて、それ以上、話が出来なかったようです。
 ほかに、パンダツアーを催している日系旅行社の知人に電話したところ、「チベットの騒乱で、しばらくはツアーの募集を見合わせていた。そろそろ再開したいと思っているところに、大地震が起きた。そういうわけで、当社主催のツアーで現地に行っている日本人観光客はいない」、とのことです。
 ■なお、CRIの地震報道は特集はこちらからです。
http://japanese.cri.cn/81/2008/05/13/Zt1@117892.htm
■以下は、本日昼の電話インタビューです■
http://japanese.cri.cn/81/2008/05/14/1@118056.htm
 
 四川大地震から48時間が経とうとしています。震源地からおよそ100キロ離れている成都市では、市民の暮らしはどうなっているのか、災害にどのような気持ちで立ち向かっているのか、14日午後1時、成都市にお住まいの謝正富さん夫婦に電話でお話を聞きました。 謝さんと奥様は国営企業に勤めていた一般職員でしたが、数年前に退職し、現在、息子夫婦と5人家族で天仙橋地区の高層住宅に住んでいます。
 地震発生時、謝さん夫婦はちょうど友人との昼食会が終わり、レストランを出て、大通りを歩いていた最中でした。「立ってもいられない揺れで、恐ろしかったです」。 謝さんと奥様は32年前、雲南省の龍陵でマグニチュード7.4(1976年5月)の大地震を体験したことがあり、今回は謝さん夫婦にとって、二回目の大地震となります。
 
Q 成都の今の様子を教えてください。
謝 さきほど、まもなく断水する知らせを受けましたので、大急ぎで水を溜めて、シャワーを浴びたところです。成都市内は地震の死者が出たり、建物に大きな大きなひびが入っていたりして、地震の爪あとがあちらこちらで見かけます。しかし、一方では、成都市は概して秩序が保たれてあり、通信も交通も通じていますので、人々はたいへん落ち着いた雰囲気です。物資は赤十字会からの援助に頼っています。一方、市民たちは自己救助にも頑張っています。町には、夜通しで、献血する市民たちが行列をしています。医療関係者は48時間、休まずに救助に当たっています。たいへんな災害ですが、皆、冷静に頑張っています。何より、温家宝首相が現場に来てくれて、私たちと一緒にいることが大きいです。皆、大きな力を受け、大きな励ましを受けています。
 
Q 謝さんの団地の様子を教えてください。
 私の団地には全部で360世帯の住民がいます。地震が起きた後、安全確保のため、住民委員会は、夜、近くの空き地で立てたテントで寝泊りするように注意を呼びかけています。おとといも昨日も、夜は、皆でテントで寝泊りし、昼間は自宅に戻って食事の支度をしたり、休んだりしています。住民たちはどの人も、互いに言葉を掛け合って、励ましあっています。
Q 今日のお天気はいかがですか。
 昨日はしとしとと雨が降り続けていました。夜は風も吹き出したので、かなり冷え込んでいました。今日は幸い、良いお天気に恵まれています。
Q 食糧供給のほうはいかがですか。
 ミネラルウォーターや野菜はもう売り切れていますが、市場はいつも通りに営業しています。
Q 学校や会社はどうなっていますか。
 学校はすべて休みに入っていますし、仕事の量を減らしたり、休みになっている会社も多いです。ただし、通信、郵政、電力、公安、病院の関係者は頑張っています。
Q ほかの被災地にご親戚やお知り合いの方がいますか。
謝 都江堰市や九塞溝に友達がいますが、九塞溝には電話がなかなか通じないため、まだ連絡が取れていない人がいます。都江堰市の友人は、地震でその住んでいるマンションは、団地ごと一瞬のうちにつぶれてしまい、不幸にも奥様が生き埋めになって、「いつもは2時になると、家を出て、友人の家へマージャンをしに行くのですが、その日だけは出かけるのが遅かったようで、友人は悲しみに包まれています。
Q 震災後の不便はまだ続きそうですが、謝さんの家はどのような準備をしていますか。
謝 そうですね。今までは長時間にわたる断水の体験はないので、とにかく、洗濯機の中をも含めて、家中のありとあらゆる器に水を蓄えておきました。3、4日分なら、問題ないですね。米や小麦、食用油など、家にもともとあるものがありますので、とりあえず、自分たちの生活には不安はありません。5歳の孫は幼稚園の行かなくて良いし、団地の子どもたちと朝から一緒に遊べるので、喜んでいますが、状況の深刻さを認識している大人は、やはり心配が隠せません。他の省にいる友人から、救援物資を郵便で送りたいとご親切に言ってきた人がいますが、「私たちは生活に困っていないし、それよりも、大事な通路を救援物資を運ぶのに空けてほしい」と友人の好意を断りました。救援物資の運搬ルートの確保、これが今の急務です。今回はたいへんな災害とは認識していますが、国挙げての力強い救援があるので、成都の市民として冷静な気持ちで、助け合い難関を乗り越えようと思っています。


2008-05-13 救援隊、徒歩行進中、臥龍のパンダは無事 北京は久しぶりに晴天になり、気温も少しは上がりました。一昨日と昨日の雨で、気温が冷え込んでいたのを実感しました。それが、被災地では雨が降り続けていて、気温も下がっています。今晩も眠れない夜が続きます。

 今朝、取材で「東四」に行ってきました。9時半ころで、第一陣の募金がすでに終わったようで、行動のすばやさに感動しました。CCTVは今晩もずっと生放送が続いています。現地の映像もありますが、ゲストと繋いでの電話インタビユーなどが多いです。夜11時38分頃、CCTVが報じたところによると、通信、電気、道路がすべて不通になっている。震源地のブン川には、徒歩で向かっている。救援隊(解放軍)は県庁所在地まで9キロのところにまできているという良いニュースがありました。一方の四川衛星テレビの放送もたいへん良かったです。現場の生々しい映像がふんだんに使われていました。臥龍の様子はまだ分からないようですが、パンダ研究基地のパンダが無事だということだけが発表されました。(@夜24時)


2008-05-12 パンダのふるさと、突然の大震災 
中国大陸が揺れていた。■北京、目まいか地震か?■

午後2時半頃、局でいつものように本日収録の番組準備で、パソコンに向かっていた時だった。何故か、目まいがしてきた。何も前ぶれもないのに、どうして、こんなに急に具合が悪くなっただろう。その目まいは、なかなかやまなかった。数秒が経った。「待てよ。本当に目まいなのか、ひょっとしたら…」。瞬間的な反応だった。「地震だー!」聞こえてきたのは、自分の声だけではなかった。周りの同僚も同じ声が上がった。壁にかけている時計もホワイトボードもゆらゆらしていた。日本で何度も地震を体験していたが、がたがたや、ゆらゆらする地震があったが、目まいを引き起こす地震は初めてだった。

■温首相:“特別重大的地震災害”■

 まさか、これが中国大陸ほぼ全域を影響したほどの大震災だったとは思いもよらなかった。しばらくしてから、テレビは四川の(シ文)川でマグニチュード7.8、震源の深さはわずか10キロの地震が起きたと報じた。また、北京郊外の通州でもマグニチュード3.9の地震が観測できた、と。さらに、温家宝首相も直ちに、被災地に向かったことも。しかし、震源地の様子はまったく把握できていない。映像もまったくない。「四川には人が密集していない場所はないからね」と。「大きな地震が起きた後、遠くの地方が影響を受けて、あのような揺れになったのだ」。日本人同僚のMさんはこう言い切った。後で分かったことだが、北京のみならず、私の実家の安徽省も含めて、北方から南方のかなり広域が揺れがあったようだ。海を隔てた台湾全島も強い揺れがあったとか。温家宝氏が四川に向かう機内で発表したステートメントで、「特別に重大な震災」という表現をしていた。

■被災地はどうなっているのか、CCTVの生放送が続く■
 夜、CCTVのニュースチャンネルと総合チャンネルはずっと生放送で震災の情報を伝えていた。22時半頃まで、「現時点の死者は7800人」と発表した。ただし、この数字について、民生部の災害救助担当の局長や四川にいる記者との電話取材では、いずれも「私たちの把握している数字はこれとは違う」という話だった。「国家地震局のまとめた現時点の数字を知っているが、かなり権威的な数字だと思うが」と電話の向こうで、記者が言い出した瞬間に、スタジオのキャスターは乱暴にその言葉の腰を折った。「この数字はこれからも変わるだろうと思うので、現時点、とくにこだわる必要はないのではないか。それより、現場の様子を教えてください」。話題の流れを意図的に変えた。不吉な予感がしてしょうがない。さっきまで出したばかりの数字に、すでに、視聴者は大きなショックを受けたに違いない。すぐに更新されると、パニックが大きくなるのでは。ひょっとした、そのような配慮があったかもしれない。
 CCTVは生放送の役割を存分に発揮した。また、地震が起きた時にどのように避難すればよいのか、短編も放送された。空、道路、鉄道、電信、地震局、民生部門など、関係者への取材も続いていた。救援状況や政府の対応なども。知りたい情報ばかりだったので、しばらく釘付けになって見ていた。「短期間に、強い震度の地震が近い範囲でもう一度起きる可能性は ないとは言えない。そのため、引き続き気を緩めずに、注意深く見守っていく必要がある。」ゲストの地震局の専門家は注意を呼びかけている。ただし、震源地・(シ文)川への道路が山崩れで中断され、通信も電力もすべて不通になったため、一切情報が伝わらなかった。ただし、近くの都江堰市や綿陽などにいる地元の人々と電話をつないだ。四川訛りの強い方言だった方もいて、電話の音質もよくなかったこともあり、あまり分からなかった方もいたが、切羽詰った話し方では、状況の深刻さを察した。23時40分頃に、とうとう更新した死者の数が発表された。8533人になった。午後に撮影した映像では、(シ文)川への道路(山道ばかり)が山崩れにより転がってきた巨石により塞がれていて、通行不能になっていた。夜24時頃の映像では、軍用機で都江堰市(百キロほど離れている?)に到着した温家宝首相は、夜の広場で、すぐに関係者を集めて、仕事を配備した。「歩いていても、早く被災地に行ってください。1秒でも被災地に着くと、助かる人がいるから」。午後0:50分まで、まだ(シ文)川からの現場の映像や音声が入らない。
 
■(シ文)川はどんなとこ?■
 九塞溝から遠くないのようだ。成都から約150キロほど離れているようだ。私は、(シ文)川に行ったことがないが、同じくアバチベット族チャン族自治区である九塞溝には一度行ったことがある。しかし、(シ文)川の地名に見覚えがある。つい、しばらく前にも、臥龍の場所を確認するため、地図で調べていたからだ。そうそう、パンダの里の臥龍がつまり、(シ文)川にある。パンダも地震に驚いて、恐怖のあまり、泣いていたのだろうか。
 午後から現在までに、すでに余震が300回以上起き、中にはマグニチュード6度以上の地震は3回もあったようだ。真っ暗闇の中で、(シ文)川は不安な第一夜を迎えた。どうか、人間地獄に落とされたと思っている人たちに、光と希望を与えるよう、ただひたすら祈るばかりだ。北京時間13日朝1時55分、CCTVの生放送はまだ続けている。

■五輪イヤーの中国■
 私は弱虫に違いない。とにかく、今年以来の中国の歩みを振り返ると、泣きたくなる。雪害の中で、旧正月が開けた。製品や食の安全問題にテロに騒乱。やっと聖火が国内に戻ってきたかと思うと、今度は突然襲われる大震災。一方、物価の上昇もあり、原油価格や工業品価格の高騰で経済発展も大きなチャレンジに立ち向かっている。しかも、この後、どのようなことが起こるのか、まだ誰もが予想できない。中国人があれだけ夢を託して、希望をかけている五輪大会が、紆余屈曲の中での開催となりそうだ。無事開幕できた暁は、大泣きする人がきっと多いに違いない。しかし、今はまだ泣くのが早い。歯を食いしばって我慢して、冷静さを保ち、頑張っていくしかない。
  ミャンマーのサイクロンの被害にもたいへん驚いた。思い出せば、中国人と結婚したミャンマー人の友達が一人いて、今、ヤンゴンにいる。奥様に確認したら、幸い無事だった。突然訪れてくる災害の前に、人間がこんなに無力なのだ。くだらないことで喧嘩するのをやめて、穏やかで、平穏無事の日常を楽しみ、そして、それをありがたく思う気持ちを忘れてはならないように思う。
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posted by Hiromi at 22:06| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする