2018年05月23日

2018年5月17〜22日 北京 日記

  ただいまーーーーーーーー。無事戻りました。色々失敗の多かった五日間でした。でも、まあ、何とかナントカやってきました。色々な方に助けられて。

5月17日(木)

 朝5時タクシーで出発。地下鉄の始発と名鉄で空港へ。北京の天候が悪くて出発を見合わせていたけれど、30分ほどの遅れで無事離陸。北京首都空港は雨上がりで、あちこちに水溜りができていました。空港からのバスで外の景色を眺めていたら、街路樹の緑が洗われてとてもきれい。道路の両側のバラの植え込みが、美しい。埃っぽいのが見慣れた景色なのにこんな北京、初めてでした。

 空港から1時間半、バスに乗ります。何しろ北京市の北東の端から南西の端まで行くのです。自力で燕ホテル到着。5日間無賃宿泊どうぞよろしく!いつものように、燕ちゃんは放送局と自宅を何度も往復して、仕事の時間を割いて私の面倒を見てくれます。感謝。

 お連れ合いは、学生の論文をみるのは通常の仕事ですが、自身の論文の締め切りが迫っていて、日本からの大学への来客の対応も多く超多忙。燕に「放っておいてやって」と言われ、「はい」。

 燕は夜仕事に出かけ、何時に帰ってくるのか。過労死するのではと心配です(私の存在が拍車をかけていることは間違いないし……)午前様の帰宅。番組の録り貯めもしなくちゃいけないもんね。勝手に冷蔵庫を漁って冷凍餃子にシメシメ。

5月18日(金)

 早朝スーパーに出掛けて朝食ゲット。焼きあがったばかりの郷土料理の煎餅を食べてこそ、中国に来た実感があります。今日はゆっくりと中国人民大学での授業の最終準備。パワーポイントは使ったことがないけど、そんなことを言っていては何も始まらない。局のパソコンを借りてきてくれているので、あちこち触りまくって写真を入れ込み、説明の文字をはめ込んでいきます。いつもママの指導を愚痴も言わずにしてくれる燕様に謝謝!

  燕は「寝過ごした!」と、今日もバババッと飛び出して行きました。家の中でいない事になっているSさんに、土産に持ってきた、きしめんを茹でて、仕事の区切りで食べてくださいと昼食の声かけだけして、又部屋に閉じこもる。午後Sさんの大学へ出かけた様子を感じ取ってから、独りの留守番になりました。

 早速Sさんに了解を得ている、Sさんがネットでゲットした貴重な戦時、北京で発行されていた日本語新聞「東亜新報」のS19年分の番組欄の撮影開始。17年分は既に書き起こし終了しているので、残るは半分。17年に比べ、放送の内容も縮小されて、新聞全体も日本軍の勢いが失せ、窮極必死の悪あがきをしている当時の日本の状況が手にとるようにわかります。撮影完了。ノートパソコンに移して、これは帰国後の宿題作業です。

♪ピーンポーン♪とドアベルが鳴ったので、開けたら、ガスの安全検査だとか。制服と身分証をぶら下げた男が言う。やばいぞ…。私はここの家の者じゃないとか、外国人なのでわからないとか言うのだけど、向こうも粘るので、危険なことにならないうちにと思って、「検査済みのサインをしてほしい」と言う相手に従いました。私の名前だけだから、大丈夫でしょう。

 北京でも偽検査人が横行していて、ガス器具が悪くなっているとかとだまして、新しいのを買わせたりするそうで、後から燕に「無視していいからね」と、注意をされました。あーぁ、留守番はつらいよ、寅次郎。

 日本のビーフシチューの素の箱を出して、「これ作っておいて」と言われたので、3人なら2回分はあるくらい作っておきました。食べたい人が好きな時間に好きなだけ好きなように食べる。こんなに可笑しなホテル、聞いた事ないね(笑)。

なんとかパワーポイントの作業を終え、後は燕の追加編集と修正にバトンタッチ。謝謝。

5月19日(土)

CRIのパソコンで.jpg 燕のPPTの修正作業は午後まで続いて有難く、昼食も勝手に独りで円湯団子。スーパーで買った、日本だったら1000円はするくらいの大きな種無し葡萄を贅沢にポンポン口にほう張る。申し訳ないので、オレンジの皮をむいて、燕のパソコンの横に届ける。

完成!遂次通訳を適当に入れるので、時間配分がやや心配なれど、私の「紫金草」と「はだしのゲン」については、世界中の誰よりも知っていてくれる人が司会と通訳をしてくれるので、講演者としてこんな幸せはないのです。午後4時出発。

放送局の門で、元日本語部で専門家だった、Oさんと待ち合わせ。OさんはTBSで「シルクロード」を始め、長く中国各地を取材した番組をプロデュースしてきたベテランで、今は北京在住。今日はビデオを回してくださるとのこと。感謝。(でも、それ何にするのかな? )


 もう一人、 残留孤児の王さんも参加してくださるそうで、皆で乗り合わせて中国人民大学へ。タクシーの中で王さんスマホ.jpg

83歳の王さん(日本名渡部)もスマホ。現金はほとんど使わないそうで、お店でラーメン一杯も現金では食べられない時があったと話してくれました。北京赴任時、1999年から2003年まで住んでいた、友誼賓館のすぐ近くなので、とても懐かしかったのですが、大学自体はすっかり変貌して、びっくりするほど立派な建物になっていました。首都だから当然でもあるのでしょうが、中国の発展は驚くばかりです。

又珍しく雨が降りだして、傘をさしての道行きから撮影開始。今回の講演は国際放送局と、人民大学の日本語サークル「桜花社」の共催で実現しました。年に2回春と秋に大きな行事をするそうで、その春期として、講演をさせてもらうのです。局の理解と燕ちゃんの人脈と発想、実行力なくして、この機会はありえません。私の厚かましさの賜物で。人民大学a.jpg



 「桜花社」の社長、3年生の二人の学生さんに迎えられ、大学内のカフェで顔合わせ。二人とも日本の大学に半年ほど留学していたことがあるそうで、長春と大連の出身。こんな若い人たちに話を聞いて貰いたかったので、夢のよう。

 日本語学部の大学院の学生さん達はちょうど試験中で、講演会場へ.jpg

試験勉強のために一刻も無駄にできない中、何人か参加してくれ、他の大学からも学生さん達が大勢集まってくれ、雨の中、有難さが胸に沁みました。SNSで募集したら2000程アクセスがあり、申し込みも100人を突破していました。なのに、燕は「50人は来ると思う」と言う。なんて失礼な…と思ったけれど、聞けば、広州などの遠いところからもあり、冷やかしというか、面白がって申し込みをするのもいるので、実際は半分と考えればいいという話。なんと大陸的なこと! なんとSNS的なこと。日本だったら参加申し込みしたら、よほどのことがない限りまじめに参加するよねー。まあ、スマホでチラシを見てくれるだけでも、中国全土で閲覧に貢献してくれるのだから、良い事に間違いありません。

桜花社挨拶.jpg


 6時半をまわってやや遅れて燕&弘美の母娘漫才開始。遂次通訳と進行の両方、打ち合わせなんてほぼゼロ。「むらさき花だいこん」の朗読も最後の「広島愛の川」のDVDもイメージどおり進行。続いて、ゲストの王さんが、原稿3枚にびっちりスピーチを用意してあったので、戦時、中国の大地に取り残されて、中国の養父母に暖かく育てられた、努力の人生が15分ほど語られ拍手拍手。まさに「我在中国75年」です。

 私は講演中「戦争は絶対してはいけない」と繰り返し、「核と平和は共存しない」と断言しました。参加者の中に、清華大学博士課程に在籍しながら日本語の授業で教師もしているKさんもいらして、感想と質問を受けました。南京と広島を同列に並べて語ったことにとても興味を持ったとのこと。ただ自分たち(1980年代生まれ) は、親の世代どころか、祖父母たちからも、戦争体験を聞いていない。どうやって日本でこういう話をしているか、みんなは受け入れるかという質問は、さすが核心を突いています。私は仲間がいることの喜びを言い、ブログで猫とのグータラ暮らしも交えて、等身大で普段着でおしゃべりしていると語ると、燕がすかさず「がま口塾」の話でフォロー。どういう意味かと問うので、「私の大きな口という意味じゃ!」(爆笑)。阿吽の呼吸を通り越しています。人民大学開始.jpg

 あとは質疑に入り、発問者は弘美手作りの、着物を再利用して手作りしたシュシュやチューリップゴム輪、名刺入れをプレゼントします! と燕。そうなんです。家でセッセと作っていたのは、講演会の景品だったのです。燕に命じられたときは「私は景品つきの講師なの?!」と、その発想に仰天したけれど、思えば、日中戦争時代を生きた両親が身に着けていたものを再生させて、小さなものであっても中国の人たちの手に渡って愛用されるなら、願ってもないこと。無言の平和の使者かもね。

 15分ほどオーバーしたけれど、感動したというまじめな感想を色々もらいました。今までの色々な活動で、辛いことはなかったかとかの質問に、感じているままに平たく答えました。学者じゃなく、ごく一般の市民である「私」の感覚で語るのが一番伝わるのではないかと思うので、恥ずかしいとか、注意深く賢く答えようという気持ちは微塵もありません。一生懸命話し、一生懸命答えた2時間は無事終了。参加者インタビュー.jpg

 日本だと1分も時間オーバーしたら鍵をジャラジャラさせて「会場撤収」を厳しく言われるけど、ここはゆーーーーーったり。残ってくれた若者たちと色々話し、一緒にいっぱい写真を撮りました。燕も参加者インタビューなどをこなしつつ、私にも〆インタビュー。「中国の若い人たちと南京やゲンのことを話すことが実現し、こんな嬉しいことはない。燕ちゃんや皆さんの協力があってのこと」と、感謝で締めくくりました。

 驚いたこと二つ。

@「2014年に高校生の時、南京で紫金草合唱団の合唱を聴きました」という学生さんがいたこと。とても嬉しそうに言ってくれました。

李さんの使者.jpg

A『はだしのゲン』を広める会から、日本語のゲンを贈った、大連外国語大学の李先生が、北京にいる学生にことづけて、山盛りの美味しい果物の詰め合わせを持ってきてくれたこと。今、李先生に、パソコンを通して朗読のお手伝いを少ししているので、そのお礼の気持ちもこめられているのですが、雨の中、重い果物セットを運んでくれた可愛い学生さんにも感謝感激。 

 皆、日中の市民の暖かい気持ちが輪になってつながっています。大学を出る頃には9時半を回っていましたが、私を先に帰して、燕は又仕事に局へ戻りました。有難う、燕の強力パワー。本日、さすがにバタンキュー。

5月20日(日)

 燕が「昨日の講演の反応がいっぱいウェイボやウィチャットで出てるよー」って、スマホを見せてくれるけど、どういうシステムか、よくわかっていないので、「ふーーん…」状態。会場で燕は司会しながら、通訳しながら、デジカメでビデオもとっていて(軽業師です)、それをグループのSNSに流していたので、参加できなかった人も大勢それを見ていたので、内容がわかっているんだそうです。フェイスブックみたいなものでしょう。(ただし、私はFBはほとんどしていません)。

WeChat 2.jpg WeChat 3.jpg WeChat 1.jpg WeChat 5.jpg WeChat 4.jpg WeChat 6.jpgWeChat 7.jpg

 他に、燕は局のサイトに載せる写真と文章をもう書きあげていました。以下はその記事です。

http://japanese.cri.cn/20180520/6f4d6874-6916-64dc-cd9d-f4198a21c0d2.html

それを人民網の日本語版が記事を転載したそうで、

http://jp.xinhuanet.com/2018-05/20/c_137192747.htm

 アッと言う間に情報が走り回る時代になりました。今はパジャマのまま家で仕事ができてしまう。だから、どんどん仕事が増えているとも言える。どこにいてもつかまって仕事が飛んでくる。

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平和友好条約40周年記念、坂東弘美アナが北京で交流会=CRI日本語

中日平和友好条約締結40周年を記念し、歴史を直視し、平和と友好の増進について語る交流会が19日、中国人民大学で行われました。名古屋からフリーアナウンサーの坂東弘美さん(70歳)が講演、朗読を織り交ぜながら、来場者の質問に答えていました。

人民大学CRI記事1.jpg坂東弘美さん

侵略戦争の中国戦場に駆り出された旧日本兵を父に生まれた坂東さん。講演では、中日国交正常化の年に生まれた長男の中国留学をきっかけに、中国人の複雑な対日感情を知ったこと、親子で中国とかかわりを持ちながら、心の償いを続けたことなど、実体験を振り返りました。また、旧日本軍による南京大虐殺の史実に基づいた絵本「むらさき花だいこん」(大門高子文)を朗読しながら、20年前から応援をつづけてきた紫金草合唱団の取り組みや、自らも共同代表を務めた「河村名古屋市長『南京虐殺否定』発言を撤回させる会」の活動を紹介しました。更には、一連の市民活動の中でつながりを持ち、自らもライフワークとしてかかわっている広島原爆の悲惨さを記録し、核兵器の廃絶を訴える「はだしのゲンをひろめる会」 の活動を紹介しました。人民大学CRI記事2.jpg

RUC桜花社代表に漫画『はだしのゲン』を贈呈する坂東弘美さん

交流会は「CRI日本語部」と中国人民大学の学生サークル「RUC桜花社」の共同企画。Wechat公式アカウントを通して来場した40人余りのほか、グループチャットは120人もの参加を引き付けていました。なお、交流会の人民大学CRI記事3.jpg特別ゲストとして、日本の敗戦で中国残留孤児となり、中国人の養父母に引き取られ、現在は中国国籍で北京在住の王林起(日本名:渡部宏一、83歳)さんも出席し、自らの戦争体験を語りました。

来場者全員の記念写真

来場者からは「広島の歴史を南京大虐殺の史実と結び付けて紹介した点に深い印象を覚えた」「戦争は、加害者だった日本の国民にも無残な被害を残したと良く分かった」「平和こそ、国境や言語の垣根を越えて、人民大学CRI記事4.jpg 全世界の人々を一つにする共通の願いと言語なのだ。このことをかみしめることができた交流会だった」などの感想が語られました。

坂東弘美さんは中京テレビのアナウンサーを経て、フリーとなり、安徽省蕪湖市で日本語教師をしました。その後、1999年−2002年に日本人専門家として中国国際放送局(CRI)に勤務した経験があります。(取材:王小燕) 

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参加していた人も又それぞれ自分のグループに投稿するので、「ゲン」は只今のところ、中国で多忙なはず?

アフレココン玄関で.JPG アフレココン10.JPG アフレココン1.JPG アフレココン8.JPGアフレココン9.JPG アフレココン2.JPG アフレココン7.JPG アフレココン3.JPG アフレココン4.JPG 


 さて、本日は午後2時から北京外国語大学日本学研究センターで日本文化祭の一つの催し物の「アフレココンテスト大会」があり、予選を勝ち抜いた10組が実演で、北京の他大学も含めて競います。頼まれて、ホイホイ引き受けた審査員。燕は審査委員長で、CRIの凸凹コンビが出かけました。

 舞台の上のスクリーンに映し出されるアニメやテレビドラマの一部、3~5分程度の映像にグループや個人で台詞をつけていくコンテスト。10組は私の孫と言ってもいい世代の学生たち。日本語でよく感情をこめ、早口もとぼけた役もよくこなしていてびっくり。日本の大学でもこんなコンテストやってるかしら? 

 審査員として難しいのは、映像も初見なのに、あっという間に終わるアフレコに色々な項目別に点数をつけなければいけないこと。前半30分終って別室で5分ほど6人の審査員で評価会議。点数合計。

後半に入る前に女子学生のブレイクダンスがありました。可愛いねー。元気そのもの。後半終って又別室で審査員の話し合い。日本人の外大の先生が3人と私、あとは中国人の先生と燕の6人です。だいたい上手い子は同じで1位2位はすんなり決まったけれど、3位が難しく同列2組として4組の入賞にしました。

 その後の審査講評が大変。燕と私が壇上で凸凹話して無事終了。燕の堂々たる姿に圧倒されました。アフレコは確かに日本語の勉強には効果がありそう。日本のアニメの好きな中国の若者たちであればこそでしょう。いろいろな発想があるものだと感心しました。

 燕は休みがありません。ワーカーホリックと言うか、過労死するのではとハラハラしますが、夕食は初めて3人合流。燕の手作り料理をご馳走になりました。私同様、料理はあまりウフフ……の燕ですが、一生懸命作ってくれる心が嬉しくて、全部美味しかった!!!又局にいくと言うので、原稿書くだけなら、家で書いて!と懇願。 行かなかったみたい。

5月21日(月)

 朝2時に目が覚めました。緊張のせいでしょう。レイシ.jpg今日の授業の段取りをもう一度確認、練り直し作業で4時頃まで過ごす。学生さん達のお土産も整えて、後はぼんやり横たわって、イメージトレーニング。

 バスの2階.jpg8時50分、S先生と出発。雨が降っています。通勤時間帯は渋滞するので、タクシーは使わず、2階建てのバスの2階最前列に陣取りました。大学まで約1時間。始点に近いので必ず座れます。S先生はいつもこの時間に授業の準備をすると笑っています。

 授業は10時10分開始。北京外国語大学日本学研究センターは中国各地の大学の日本語学部を卒業した人が入る大学院です。その2年生の日本文学を研究している学生7人にお話しすると聞いていたのですが、他の学生にも声をかけてくださったようで、12人集合。こじんまりした、ちょうど良い研究室です。

 S先生、ゲンの深い理解者で、学生たちにゲンを読んでくるよう宿題にしてあります。「はだしのゲンをひろめる会」から贈呈してある全巻を読みおえるというのは大変なのですが、学生は少なくても1巻は読んでいる状態。すべて日本語で大丈夫なのが、ありがたいのですが、だから怖くもあり……。

 あれーーーーっ、朝練り直したはずのプログラムをUSBに入れるのを忘れたままーーー入ってない!! しょうがない、人民大学で使ったパワーポイントのプログラムでい・こ・う・・・あれーーーーっ、絵本「むらさき花だいこん」を家に忘れてきたーーーー。こんなもんでごじゃる粗忽者。ないものが飛んで出てくる訳がなく、内容を説明するだけとなりました。最後の「広島 愛の川」のDVDは無事上映できました。   

最後の「広島 愛の川」上映.jpg 最後の「広島 愛の川」上映3.jpg 最後の「広島 愛の川」上映2.jpg

  ノンストップの1時間30分が終って、質疑応答。さすがに院生、博士課程の学生たちです。色々な率直な感想を言ってくれました。

@アモイ大学から来ている。ぜひアモイに来て話してほしい。皆が知るべき、大切なことが描いてある漫画だと思った。

B被爆者の皆さんは今、どのように暮らしているのか。被爆者の友人とどのように交流しているか?

C怖い場面は、子供たちにとってはトラウマになってしまうのではないか。どう考えているか。

Dゲンのお父さんは非国民と言われて投獄された。異質な者を排除するということが戦争を生むのではないかと思った。

12人の院生たちと.jpg日本ではKYという言葉があって、あまり明確に考えていることを言わないで、周りに同調する国民性があるのではないか。しかし、今の中国でもKYという言葉が通っている。

Eがま口塾というのは何か。どうしてそういうことをはじめようと思ったのか。

F広島に留学していたことがある。広島の人たちはとても優しかった。でも、バイトをしていた時、「南京大虐殺で30万人殺されたって言うのは嘘だ」と、私に向かって言った人があった。河村市長に抗議を続けている人たちが大勢いることを知った。

G非国民と言われても戦争に反対したゲンのお父さんのような人たちは、その後どうなったか?

Hゲンの話しにとても興味を持った。戦争文学を研究テーマにして博士論文を書く準備をしている。井伏鱒二の「黒い雨」を読んだことがきっかけだが、『はだしのゲン』も含めて研究を進めたいと考えている。

博士課程の論文にゲンが登場するとは!アンビリーバボーな展開となりました。S先生のご指導に心から感謝を述べました。

 皆に又、馬鹿の一つ覚えの布チューリップをプレゼントし、男子学生とS先生には父の絣の着物から作った名刺入れをプレゼントしました。そして中沢啓治夫人から贈っていただいたコミック版の『はだしのゲン』全10巻と、研究用に中国語版も10巻、プレゼントしました。みんな嬉しそうな顔をしてくれたのが何よりでした。

 OADにより.jpg 建設の経緯.jpg センターの歴史展示.jpg

  大学の食堂で学生さん7人も一緒に円卓でランチ。教職員用のレストランでS先生にご馳走していただきました。又色々話が弾みました。ある学生が、学内の何かの行事で偶然記者に呼び止められて「どうしてはだしのゲンを持ってるの?」と訊かれてビックリしたそうです。授業があるので、一生懸命読んでいる最中で、外に出るときも暇々に読むつもりで、隠すように持っていたというのです。でも、そのたまたま大学に取材に来ていた記者っていうのが、第6巻を翻訳した劉さんだったんだ!! こんな奇跡に2人ともビックリしたそうです。中には、人民大学へも来てくれていた学生さんが3人もいて、私ときたら、まったく同じ話しをしてしまった。恥ずかしーーい。 でも、今回は通訳が入っていない分は、大学院生対象に掘り下げられたように思います。

 紫金草合唱団が北京の大学でコンサートをしたとき、ボランティアをしたという学生たちがいたことも驚き!北京は狭くないです。合唱団の長い活動は確実に種を実らせています。感動。

どうやって中国でゲンを広めるかというテーマで盛り上がりました。スマホに漫画を自由に読めるアプリを入れて、日本の漫画を楽しんでいる若者は多いので、電子版で無料開放したらどうかとか。最後は出版社を作って社長になりなさいと学生にハッパをかけるS先生に大笑い。「先生、資本金をよろしくおねがいします」、又大笑い。

 皆の出身省を訊くと、福建、江蘇、浙江省、山西省、河南省、湖北省(父が駐屯していた馬坪のある省)、陝西省と、みんなばらばら。中国大陸の広さをつくづく思う。皆でゲンを広めていこうという話しに収束し、他の大学にも友人を通して声をかけてみると言ってくれる学生たち。私も改めて元気をもらったのでした。S先生、「又秋にも来て、新しい学生たちにも話してください」ですって。

 私は奇跡的な出会いを重ねています。今回は燕とS先生夫妻に心からの感謝をささげます。日本で応援してくれている「ひろげる会」のANさんや事務局の皆さん、そして誰よりも中国語版の出版を応援してくださっているミサヨ夫人にも感謝。無事ゲンの日程を終え、ホッとした今日です。

5月22日(火)

 帰国の日。勝手に朝食を食べて荷物もまとめて出発。空港へはまっすぐ行かないで、放送局の日本語部の部会に出て挨拶の予定。燕が、その前に「むらさき花だいこん」の朗読をスタジオで録りたいと言い、ブースに拉致されました。いやはや、本当にタイトなスケジュールです。ブースで燕と花だいこん.JPG
日本語部に到着するやいなや部長室のWさんに挨拶し、皆の部屋に行ったら、ワイワイ当時の古手
さんで、特に我が家に来たり泊まったりしたスタッフたちが寄ってきてくれ、新しい人も挨拶でゴチャゴチャ。部会の冒頭で部長さんが昔のメンバー歓迎の言葉。大昔のスタッフは5分ほど、この度の講演の共催のお礼と、いつも家族のように迎えてくれることに感謝の辞。そして持参した、意味を込めた下手な手作り品などの説明をしました。

 CRIシュシュ4.JPG CRIシュシュ2.jpg CRIシュシュ3.jpg 

  燕が後から送ってきた写真によると、シュシュはとても人気があったようです。わざわざつけて見せに来た子、髪が短くてつけられなかったからカバンにつけましたって、名古屋までメールをくれたスタッフもいます(笑)。捨てても良さそうな布がこんなふうに役立って嬉しいやら、下手で申し訳ないやら。でも、父や母の着物が又しばらく北京でウロウロするのはとても嬉しいです。

  Rさんが今日の勤務は夜勤だからと、どうしてもバス停まで送ると言ってくれます。バスまでの途中の喫茶店に入ってケーキをご馳走されました。されましたというのも変だけどね、私は時間にはケッコウ早目人間なので、ハラハラしていたの。藍さんとケーキ.jpg
北京の発展ぶりは本当に目を見張るものがあります。ケーキもとても美味しいおしゃれな可愛いデザインでした。夢中で話していて、ふと時計を見ると、あと10分でバスが来る! 足の長いノッポのRさんと走る走る。最後まで手も長く振って別れたのでした。皆さん、有難う。私を忘れないでいてくれて有難う。感謝あるのみです。

又飛行機の出発が遅れ、深夜の帰宅になりました。ジャンが走って迎えてくれて可愛い!! ただいまーーーーーーっ! 

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posted by Hiromi at 14:42| 愛知 ☔| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月16日

岸井さんに勇気をもらいました

 岸井成格さんが亡くなられた・・・「ニュース23」で、「ゲンが中国で出版されることを期待する」と、真剣にあたたかいメッセージをくださったのは、2015年、10月12日。思わずもう一度YouTubeを見ました。本当に勇気付けられました。この放送のしばらく後に、台湾の出版社からオファーが入ったのでした。岸井さんのコメントにどれだけ勇気付けられたか、いや、今日も私は勇気をもらいました。諦めません。
又北京へ行きます。「ゲン」は必ず大陸を駆け巡ってくれます。でも、もう二度と岸井さんのコメントは聞けない。
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「ニュース23. はだしのゲン 中国で出版なるか」
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 八事朗読バンド。今日は4+1の5人。美濃加茂の朗読の一日のビデオを見て、あれこれ反省したり笑ったり。次回からの作品の希望を語ったり。1分スピーチもしたけど、みんな色々話したいことがあって、1分ではとても終らないよ。3分スピーチをしようと思ったら、1分を目指すと、たいてい、ちょうど3分になるよ(笑)。みんなが言いたいこと、親友の死も含めて大切な事ばっかりだった。ビデオもしっかり撮ってくれてて感謝。ありがとう。生きてると会えるね。
お留守番できネーコ1.jpg お留守番できネーコ.JPG お留守番できネーコたち。お母さん、行ってきまーす。おりこうしててね。
posted by Hiromi at 13:56| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月14日

名刺入れ

 5.15平和行進.png
沖縄は明日で復帰46年。500人の参加者で「5・15平和行進」
(主催・同実行委員会、沖縄平和運動センター)は11日から始まって、17キロ先の金武町の米軍キャンプ・ハンセンゲートまで歩く。

 私は家で座ったまま一人行進。できる時にできることしかできません。北京への手作り土産の制作は終了。名刺入れは作りすぎた感あり。北京じゃ今時、お賽銭だってスマホなんだから、着物端切れ名刺入れ作りすぎ.jpg
名刺もきっとコードを拾ったり、写真を撮って
、スマホにいれるんかなぁ。ティッシュを入れるにはちょっと小さい。役にたたないモノを作っちゃったかも。地下鉄のICtカードくらいは入るでしょう。困ったなぁ。
 戦時中、父が着ていた絣を名刺入れにして中国へ持って行くって、気持ちだけはあふれるほどあるんだよ。許してね。市井の普通の人々が、互いの文化を行き来させ、二度と間違いをしませんように。

 昨深夜(24:55〜)、日本テレビ・NNNドキュメント「南京事件U」が放送されました。再放送は 

5月20日(日)11:00〜 BS日テレ

5月20日(日)5:00〜/24:00〜 CS「日テレNEWS24」

メディアも頑張っているところではがんばっています。

posted by Hiromi at 11:44| 愛知 ☀| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月13日

母の日

 朝男の人の声で電話がありました。「○△さんですか?」「はい」「S急便ですが、お届けものに町名しか書いてなくて困っています。番地まで教えてください」「はい。すらすらすら~~~~」。
 1時間ほど待っても宅急便が来ない。『はっ!』と、考えた事は、個人情報を盗られたかも・・・。あるいは在宅確認か・・・。だとしたら、私の注意力の散漫さが情けない。せめて相手の担当店と名前を聞いておくべきだったと悔やむことしばし。幸い程なく宅急便は届いたけど、これからはもう少し気をつけようと思いました。馴染みのクロネコさんとはお互いの家のネコの名前まで教えあう仲なんだけど、どうもS急便さんだと調子が狂います。(5日間ほど逃走していたバラが帰り、人間母は胸をなで下ろしたところです)

 いちごシャーベット.jpg母の日のプレゼントでした。イチゴの練乳シャーベット。めっちゃ美味しい。また『ハッ』と気付きました。こりゃ、今度Aちゃんが来た時までとっておいて、皆で食べよー。贈ってくれたAちゃんママのお母さんは天国です。あんまり話題にしないけど、こんな日は寂しいだろうね。お母さん二人分はできないけど、甘えたいときは甘えて欲しい。いくつになっても。

 中国語の名刺の印刷をしていて、又々『ハッ』と閃いた事は、着物lリメイク名刺入れ.jpg母の着物から名刺入れを作ること。北京の燕ちゃんが日本人の方からもらった着物が着られないといって、依前、服に作り直したのだけど、あまり布がまだあるので、汚れた部分を除いて、作ってみました。端切れは2センチ角あれば何かになるかと捨てられない私。母の着物が完全に亡くなるのはいつの日でしょう。

 全国の自治体の職員採用試験の申し込みで、性同一性障害やLGBTなど性的少数者に配慮して、受験申込書から性別欄を削除する動きが広まっているそうです。ここまで進んできたんだねぇ。A大臣の時代錯誤もはなはだしいセクハラ対応発言に開いた口がふさがらないけど、そんな大臣はほっといて、市民がどんどん進化していけばいいと思う。皆でね。
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posted by Hiromi at 23:38| 愛知 ☔| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月09日

18年初夏 日本語サロン

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安倍首相と李克強首相.jpg日中防衛当局、衝突回避の連絡体制開始へ 10年間の協議経て
ロイター 5/9(水) 18:45配信
 5月9日、安倍晋三首相と中国の李克強首相は、日中の軍用機や艦艇の偶発的な衝突を避けるため、防衛当局間のホットラインを含めた連絡体制「海空連絡メカニズム」の運用を始めることで合意した。
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ロイターのこの写真微妙すぎる。握手してないし、2人とも二コリともしてません。

 さて、5月19日の夕方から、中国人民大学の日本語学部の学生さんたちと中国国際放送局の共催の講演会で、お話させていただくことになり、昨夜チラシが発表されました。
 のっけにデカデカと写真を載せられ、マーぁ、私はナルシストか恥知らずかと自分に問うております。はい。恥知らずです。それもこれもゲンの気持ちを伝えたい一心です。学生さんたちも頑張ってくれているのが、何より嬉しいです。北京にお知り合いのいらっしゃる方は、「こんなことがあるよ」と、お伝えいただければ幸いです。
 ゲンの出版も、上の2人の写真のごとく、様子見です。政治の風向きを睨んでるわいね。
posted by Hiromi at 22:07| 愛知 ☀| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月07日

スーパーギャラリー

  加古里子(かこ・さとし)さんが亡くなりました。92歳。」「だるまちゃんとてんぐちゃん」が有名だけど、八事朗読バンドでは、「どろぼうがっこう」の群読をしたことがあります。今、検索したら、2009年02月27日にH小学校トワイライトスクールでの写真が現れました。

 「だるまちゃんとてんぐちゃん」とか、読み聞かせをしている人なら、みんな何度もお世話になっている方。福井県の図書館では、加古さんの出身地なので、特に親しまれていて、Aちゃんもパパと「からすのパンやさん」の行事に参加したことがあります。亡くなっても絵本の心は永遠に残るので、素適な仕事!
スーパーのギャラリー.jpg
 今日の福井のスーパーでは、母の日の似顔絵コンクールをやっていて、その展示方法に笑ってしまいました。これぞスーパーギャラリー。なめ子ちゃん、みつばちゃん、ゆりねちゃん、きくなちゃん、パセリちゃん・・・ふきちゃんはもういないかも、などと、下段の野菜についつい目が行って、なんとも素朴であったかいギャラリーです。加古さんを育てた土地柄なのでしょうか。ご冥福を祈ります。
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posted by Hiromi at 22:44| 愛知 ☔| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月06日

ジャンよ屋根から下りて来い

ブンナよ木から降りて来い.jpg 何故外に出たいのだろうか? まるで50年前の私の姿。私はブンナだったかも。
 若い一匹と一人の「子どもの日」は終りました。クリックで写真の台詞は大きくなって読めるけど、大したことのない日常の、ありふれた……。
 完全に雲隠れの老いた一匹のバラと、一人のバアちゃんはひきこもり状態。バラは傷つきたくないのだってことが痛いほどわかる。

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posted by Hiromi at 19:56| 愛知 | がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

名古屋市科学館でこどもの日

  帰省一行様と名古屋市科学館へ行くことになって、バスと地下鉄の体験旅行(私の認知症改善プログラムじゃない)。ママの故郷の岐阜も現住地の福井も地下鉄はないし、普段はマイカーばかりだから、どんなに短い乗車も、子供にとっては、生活学習です。子供が成長するのに必要なのは、「自立」という目標にむかって日々体験を積むことだと思います。「他」との関わりの中で生きていく人生。「大人の日」はないから、「子供」は死ぬまで成長できます。私も○○さんの子供。死ぬまで、どこに生れ落ち、どう育てられたかが影響しています。そして死ぬまで生きるので、まだまだ成長できます。
私が4人.JPG 首からしたが消えた.jpg
 科学館は「マーブル展」やらプラネタリウムで、ビックリするほどの長蛇の列。私たちは常設館であれこれ触りまくって楽しいひとときでした。お風呂上りキャップ.jpg
 祖母ちゃんが作ったエプロンと三角巾は大喜びされた…はいいけれど、何でも手伝いたがり、やや迷惑。プールキャップは風呂上りのキャップになって、妖艶なポーズ。平和の中に子どもたちの人生がありますように。
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posted by Hiromi at 04:45| 愛知 | がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月03日

高齢…じゃなくて、恒例冥土サロン

 1947年5月3日に施行された憲法を記念して休日。「その時、歴史は動いた」風に言えば、私はまだこの時は生まれていません。私は半年後にこの世に登場して、新しい憲法に守られて成長することができました。生まれるタイミングとしてなんとも幸せなことでした。憲法に感謝。

 日本国憲法の3つの柱。
  • 国民主権
  • 基本的人権の尊重
  • 平和主義
 9条への自衛隊明記について、首相が「命をかけて仕事をしている自衛隊ウンヌン」と言っているのを聞いて、憲法に明記することが、隊員の皆さんの名誉のためなら、イラクでの日報などを隠されていたっていうことは隊員の皆さんにとっては恥辱になるのではないかしら……と、ふと考えました。言っていることとやっていることが全くかみ合っていないのに、しゃあしゃあとおっしゃる。ので、政府の行為を、主権を持っている私たちが、しっかり見てなきゃいけないってことに尽きます。

 で、今日は津島の吉祥寺の冥土サロンに出かけました。この世の悩みが尽きぬため、しばし我を忘れて歌ってきました。憲法の話も歌手さんは言っていたと思いますが、まあ、お客さんは元気いっぱいで、のりのり。88歳の女性は東京ブギウギになったら、自分から踊りはじめちゃった!! うん、こうでなくっちゃね。
服部夫妻もサーターアンダギーを食べながら、新聞やTVでは絶対見せない、この笑顔。
新茶もいただいて美味しかったです。救護班の冥土案内人嬢もいつもながらピアノもピアニカの伴奏も受け付けも接待も何もかもに気を配ってお疲れ様でした。エプロンの可愛い猫メイドの皆さんにも感謝。
9.サーターアンダギー服部夫妻.JPG 8.ハランのお皿とスティック.JPG 10.新茶をいただく.JPG 

和服の端切れでシュシュを夢中で作っていたら40個になっていました。さて、何に使うのでしょう???? 平和主義を不断の努力でやるっ。
シュシュ40個完成.jpg
posted by Hiromi at 21:57| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月30日

癒しの休日

 連休。過ごしやすいお天気です。猫の逃亡遮断のための網張り完成。ジャンを庭で泳がせて、ちょっとでも抜け出ようとする欠陥場所を補修しました。来月1歳の誕生日を迎える若さ故、単純素直な行動には大助かり。試運転ができたので、愈々9歳の老獪バラを庭で遊ばせようと、玄関を開け広げて、庭から家の中のバラを呼ぶと……なんと、じーーーっと考えてから、プイッと踵を返して家の奥に逃げて行ってしまいました。「裏切り者!! 」とはこっちの勝手な想い。猫は安全のために、生きたいように生きているだけのこと。
 頭隠して腹(ハート)を隠さないジャンの無邪気さが愛おしくなります。天性の性格、DNAもあるけれど生い立ち、育ちで、こんなにも生きかた、行動に開きが出るのだなぁ。
1.僕は今から探検に出発.jpg 10.紫陽花がもうじき咲くね.jpg 2.柵には網だなぁ.jpg 3.緑のトンネルだー.jpg 5.頭隠してハート隠さず.jpg 4.紫金草のイヤリングをしてみたよ.jpg 8.ここも網だから隣のミイちゃんにも会えないにゃー.jpg 9.ここも厳重な網ダニャー.jpg

 オファーがあったプールキャップとエプロンと三角巾を大急ぎで作ったところに、突然訳ありて、チューリップのゴムバンドを20セット作製プール帽子とエプロンと三角巾.jpgしました。全部和服の端布で作るというコンセプトなので、あり合わせのシルクやウールの捨ててしまうような切れ端を使った細々とした仕事です。着物端切れの輪ゴムの花.jpgまだまだ他のものも作ります。
 針仕事は悩みを忘れていられ、癒されます。もっともっと大婆ちゃんになったら、ひねもすよもすがら、こんなことして過ごしているかもね。きっと。
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posted by Hiromi at 15:06| 愛知 ☁| がま口弘美の日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする